ブレント・リーチ
Brent Leach基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
ミシシッピ州フローウッド |
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生年月日 |
(1982-11-18) 1982年11月18日(42歳) |
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身長 体重 |
196 cm 99 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
左投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
2005年 MLBドラフト6巡目 |
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初出場 |
MLB / 2009年5月6日 NPB / 2011年7月28日 |
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最終出場 |
NPB / 2011年9月14日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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ブレント・アレン・リーチ(Brent Allen Leach , 1982年11月18日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州出身の元プロ野球選手(投手)。左投右打。
来歴
プロ入りとドジャース時代
2005年のMLBドラフトでロサンゼルス・ドジャースから6巡目(全体196位)で指名され入団。
2008年11月にドジャースの40人枠に登録された[1]。
2009年にメジャーデビュー。中継ぎとして38試合に登板し、2勝0敗4ホールド、防御率5.75の成績を残した。
2010年はAAA級アルバカーキ・アイソトープスとAA級チャタヌーガ・ルックアウツでプレーしたが、メジャーでの登板機会はなかった。
横浜時代
2010年12月28日に横浜ベイスターズが獲得を発表[2]。しかし2011年3月11日に東日本大震災が発生し、「(自身の)安否を心配する家族を安心させる」という理由で3月17日に一時帰国。その後リーチと同時に帰国したブレット・ハーパーらが再来日し、リーチ自身も再来日する意向を見せていたが、家族の反対(日本でのプレーを不安視しているという理由)で再来日しなかった。そのため、同年4月1日に日本プロ野球史上初の制限選手となった[3][4]。その間は母校のデルタ州立大学でトレーニングしていた。
7月8日に再来日し、翌日からチームに合流する。それに併せてリーチの復帰申請が行われ、支配下選手に復帰することになった[5][6]。7月28日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で来日初登板・初先発を果たすが、4回2/3を4失点で敗戦投手となる。その後、8月11日の対巨人戦(横浜スタジアム)で来日初勝利を挙げるが[7]、日本での勝利はこの1勝に終わる。これ以降は浮き球が目立って崩れるケースが続き、8試合で1勝7敗・防御率5.95と振るわなかった。同年10月3日、以降の登板機会が無いことから帰国。11月10日に戦力外通告を受けた[8][9]。
横浜退団後
2012年2月22日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶが、5月9日に解雇され[10]、6月22日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[10]。
2013年7月3日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ[10]。
2014年もブルワーズとマイナー契約を結んで傘下のAAA級ナッシュビル・サウンズでプレー。12月1日にブルワーズとマイナー契約で再契約する[10]。
2015年8月24日に放出された[10]。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- NPB投手記録
- 初登板・初先発:2011年7月28日、対読売ジャイアンツ9回戦(東京ドーム)、4回2/3を4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回裏に坂本勇人から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2011年8月11日、対読売ジャイアンツ12回戦(横浜スタジアム)、8回2失点(自責点1)
- NPB打撃記録
- 初安打:2011年7月28日、対読売ジャイアンツ9回戦(東京ドーム)、5回表にカルロス・トーレスから右前安打
- 初打点:2011年8月11日、対読売ジャイアンツ12回戦(横浜スタジアム)、4回裏に福田聡志から左中間へ適時二塁打
背番号
脚注
関連項目
外部リンク