ヒロン(サン・ファン・デ・ヒロン(英語版))はスペインの植民者がこの地域に建設された最初にして最重要な町だった。ヒロンと比較すると、(1622年12月22日に建設された)ブカラマンガは人口でも経済でも見劣りする状態が19世紀早期まで続いた。1860年代および1870年代にこの都市はドイツ系の商人・冒険商人たちを惹き付けた(その中でもっとも著名なのはゲオ・フォン・レンゲルケ(英語版)である)が、その結果、新規参入者と地場の商人との緊張が高まり、1879年に流血の事態に至った。この事件は "La Culebra Pico de Oro"(「金嘴蛇」の意)と名付けられた。