ウラジーミル・レーニン のフレンチ
フレンチ (ロシア語 : френч )はロシア で着用されていた上着 の一種。軍服 を起源とするが、流行するにしたがって非軍事的な用途でも着用された。
歴史
1902パターン・サービスドレス
フレンチの直接的な原型はイギリス陸軍 用に開発された軍服である1902パターン・サービスドレス(英語 : 1902 Pattern service dress )にまで遡ることができる[ 1] 。1902年 に配備が開始されたこの軍服は分厚いウールサージ生地から作られており、迷彩 効果や耐久性にも優れた実用的な軍服であった[ 2] [ 3] 。第一次世界大戦 時のイギリス軍 では1902パターンとその簡略型である1914パターンが支給されていた[ 2] 。
大戦期になると、当時イギリス帝国 と三国協商 に基づいて同盟関係にあったロシア帝国 にもこの軍服が持ち込まれた[ 1] 。本来の1902パターンは戦闘服 としての性格が強い一般兵卒 用の軍服であり、イギリス軍の士官 は開襟 の軍服を着用していたが、ロシアではイギリスと異なり保守的な閉じた襟 の意匠が士官の間で支持されていたため、1902パターンに範を取った軍服の広い普及に繋がった[ 4] [ 5] 。この軍服の形状を持つ上衣はフレンチという呼称で定着したが、これはフランス を意味するものではなく、第一次世界大戦におけるイギリス海外派遣軍 の司令官 であるジョン・デントン・ピンクストン・フレンチ の名から引用されたものであった[ 1] [ 4] [ 5] [ 6] 。
フレンチはロシアの帝政 が崩壊し共和制 へと移行した後も、一連の革命 から内戦 、ソビエト連邦 の建設期を通して、白軍 の名で知られる旧帝国軍系の組織や共産党 の赤軍 を含む多くの軍事勢力に見られる軍服であり続けた。
また、フレンチを着た軍人 が民間の目にも触れるようになったことに伴い、その簡素かつ堂々としたデザインが評価され、様々な党派の政治指導者によっても着用されるようになった[ 4] [ 5] 。
特徴
フレンチの外見的および機能的な特徴は、個別に多少の独自性があるものの、基本的には原型となった1902パターンに準じている。
フレンチの特徴としては柔らかなターンダウンカラー ないしスタンドカラー 、胸部と腰部に二つずつ配置されたフラップ付きの貼り付け式ポケット 、旧来のジャケット よりも長く取られた着丈などが挙げられるが[ 1] [ 4] 、腰ポケットについてはロシア国立歴史博物館 が展示していたウラジーミル・レーニンの遺品のフレンチのように、貼り付け式ではないフラップ付きの切りポケットのものも存在する。
脚注
関連項目