フリードリヒ3世・ヨハン・オットー・フランツ・クリスティアン・フィリップ(Friedrich III. Johann Otto Franz Christian Philipp Fürst zu Salm-Kyrburg, 1745年5月3日 - 1794年7月23日)は、ドイツ及びネーデルラント地方の小諸侯。ザルム=キルブルク侯。
生涯
ザルム=キルブルク侯フィリップ・ヨーゼフとその妻でホールネ公マクシミリアン・エマヌエルの間の長女マリア・テレシア(1725年 - 1783年)の間の長男[1]。兄弟姉妹とともにフランス宮廷で育ち、フランス語名のフレデリック・ド・サルム=キルブール(Frédéric, prince de Salm-Kyrbourg)で呼ばれた。1783年の母の死により断絶したホールネ公家の資産を継承、ブラバント北部ボクステル(英語版)のスタペレン城などを入手する[2]。1782年から1787年にかけ、パリに私邸オテル・ド・サルム(英語版)を建設した。
^Christiaens, W. & M. Evers (2002) Patriotse illusies in Amsterdam en Harderwijk, p. 106
^Knoops, W.A. & F.Ch. Meijer (1987) Goejanverwellesluis. De aanhouding van de prinses van Oranje op 28 juni 1787 door het vrijkorps van Gouda, p. 30, 63.
^S. Schama, Patriots and Liberators, Revolution in the Netherland 1780-1813, p. 129-30