フリードリヒ2世(ドイツ語:Friedrich II., 995年ごろ - 1026年)は、バル伯および上ロートリンゲン公(1019年より父と共治)。ディートリヒ1世とリヒルデ・フォン・ブリースカステル(ブリースガウ伯フォルマル3世の娘)の息子。
生涯
1024年の神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の死後、フリードリヒ2世はシュヴァーベン公エルンスト2世が起こした新王コンラート2世二対する反乱に加わったが、まもなく和平が成立し、フリードリヒ2世はコンラート2世を王として認めた。しかしフリードリヒ2世はその後まもなくして父に先立って死去した。
フリードリヒ2世は、シュヴァーベン公ヘルマン2世の娘でコンラート2世の王妃ギーゼラの姉であるマティルデと結婚した[1]。3人の子女をもうけた。
脚注
- ^ The Geography of Power:Matilda of Tuscany and the Strategy of Active Defense, Valerie Eads, Crusaders, Condottieri, and Cannon: Medieval Warfare in Societies Around the Mediterranean, ed. Donald Joseph Kagay and L. J. Andrew Villalon, (Brill, 2003), 358.
- ^ The Reform of the Church, J.P. Whitney, The Cambridge Medieval History, Vol. V, (Cambridge University Press, 1968), p. 23.
- ^ The Reform of the Church, J.P. Whitney, The Cambridge Medieval History, Vol. V, (Cambridge University Press, 1968), p. 31.