初代準男爵サー・フランシス・ベアリング(英: Sir Francis Baring, 1st Baronet、1740年4月18日 - 1810年9月12日)は、イギリスの銀行家、政治家。
五つの貴族家系として現存する英ベアリング家の初代にして、ベアリングス銀行の創設者として知られる。
経歴
1740年4月18日、ドイツ・ブレーメン出身の商人ジョン・ベアリング(英語版)とその妻エリザベス(旧姓ヴォウラー)の七男としてエクセターのラークビーア(Larkbeare)に生まれる[1][2]。ロンドンのベーム商店に送られてそこで商務を学んだ[2]。
1762年にロンドン・シティにおいて最古のマーチャント・バンク(英語版)ベアリングス銀行を創設した[3][4]。大英帝国の急速な拡大という時流に乗って、貿易商人たちの資金調達の手形の引受で大きな成功を収めた。1793年までにはロンドン最有力の引受業者に成長した[5]。18世紀末から19世紀初頭の対仏戦争(フランス革命戦争・ナポレオン戦争)ではイギリス戦時公債の最大の引受会社となった[6]。
銀行業の片手間に様々な活動を行った。王立取引所保険会社(英語版)やイギリス東インド会社の役員などを務めた[5]。また1784年から1806年にかけてはグランパウンド選挙区(英語版)(1784-1790)、ウィカム選挙区(英語版)(1794-1796,1802-1806)、カーン選挙区(英語版)(1796-1802)から選出されて庶民院議員を務めた[2][7]。野党ホイッグ党のアドバイザーを務めつつ、首相小ピットととも友人であった[5]。
1793年5月29日にグレートブリテン準男爵位「ロンドンのベアリング準男爵(英語版)(Baronet Baring, of London)」に叙されている[7]。
19世紀に入った頃に引退。銀行は長男トマス(英語版)、次男アレクサンダー(後の初代アシュバートン男爵)、三男ヘンリー(英語版)の3人が受け継いだ。これに伴って1807年には「ベアリング・ブラザーズ」と社名を変更している[6]。
フランシスは1810年9月12日にケントのリー(英語版)で死去[7]。準男爵位は長男トマスが継承した。
家族
1767年にウィリアム・ヘリングの娘ハリエットと結婚し、彼女との間に長男トマス(英語版)、次男アレクサンダー、三男ヘンリー(英語版)ら5人の息子と5人の娘を儲けている[7][2]。
長男トマスは準男爵位を継承し、その子孫はノースブルック男爵を得た。次男アレクサンダーはアシュバートン男爵位を受けている。三男ヘンリーの家系からはレヴェルストーク男爵家、クローマー伯爵家、グレンデールのホウィック男爵家の3家が出ている。
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目