フィンドレー (英 : Findlay 、フィンドリー と発音する)は、アメリカ合衆国 オハイオ州 北西部に位置する都市。同州ハンコック郡 の郡庁所在地 である。人口は41,202人(2010年 国勢調査 )[ 2] 。
市はトレド の南約75kmに位置し、トレド都市圏との結びつきが強いが、トレド都市圏とは別個に、ハンコック郡1郡からなるフィンドレー小都市圏を形成しており、その人口は74,782人(2010年国勢調査)を数える[ 2] 。このフィンドレー小都市圏に、セネカ郡 1郡からなるティフィン 小都市圏を加えたフィンドレー・ティフィン広域都市圏は人口131,527人(2010年国勢調査)[ 2] である。
フィンドレーは郡北東部のフォストリア と並んで、ハンコック郡内に2つある市の1つである。また、北西オハイオにおける数少ない成長都市の1つであり、同域で2番目に大きい市でもある。市はFlag City, USA を公式の愛称としている。
歴史
フィンドレーという市名は、米英戦争 時にこの地に建てられ、ジェームズ・フィンドレー大佐を讃えてその名をつけられた同名の砦に由来している。1821年 7月3日、アーバナ 出身のジョセフ・バンス、コロンバス 出身のウィリアム・ニール、およびニューカーライル出身のエルネイサン・コーリーの3名がこの地に足を踏み入れ、区画を整理したことから、フィンドレーの村としての歴史は始まった。フィンドレーは1877年 に正式な市になった。
1880年代 、フィンドレーは石油 と天然ガス の産出によって栄えた。20世紀 初頭に資源が枯渇すると、フィンドレーは低迷したが、1960年代 に州間高速道路75号線 が完成すると、フィンドレーは再び成長し始めた。
1908年 、地元フィンドレーの東の農村で生まれたシンガーソングライター 、テル・テイラーは、フィンドレーのブランチャード河畔でDown by the Old Mill Stream という曲を書き、2年後の1910年 に発表した。この曲は400万枚を売り上げ、20世紀初頭において最も人気のある曲の1つになった[ 3] 。
地理
フィンドレーは北緯41度2分18秒 西経83度39分6秒 / 北緯41.03833度 西経83.65167度 / 41.03833; -83.65167 に位置している。トレド からは南へ約75km、州都コロンバス からは北北西へ約135km、インディアナ州 フォートウェイン からは西へ約125km、デトロイト からは南南西へ約160kmに位置する。
アメリカ合衆国国勢調査局 によると、フィンドレー市は総面積44.8km²(17.3mi²)である。このうち44.5km²(17.2mi²)が陸地で0.3km²(0.1mi²)が水域である。総面積の0.64%が水域となっている。
フィンドレーにはモーミー川水系の支流であるブランチャード川が東から西へと流れている。ブランチャード川はオーグレイズ川を経てディファイアンス でモーミー川本流に合流し、トレドでエリー湖 に注ぐ。
経済
マラソン・ペトローリアム本社
フィンドレーにはクーパー・タイヤ・アンド・ラバー が本社を置いている。同社は自動車・トラック用タイヤメーカーで、イングランド 、メキシコ 、中華人民共和国 などにも進出し、国際的に事業を展開している[ 4] 。
また、フィンドレーはマラソン・オイル が1905年 から1990年 まで本社を置いていた地である。同社はフィンドレーを去った後ヒューストン に本社を移したが、1998年 にアシュランド との合弁企業であるマラソン・アシュランド・ペトローリアムを設立した後、2005年 に完全子会社化、マラソン・ペトローリアム に改名し、その本社をフィンドレーに置いている[ 5] 。
教育
フィンドレー大学
フィンドレー大学 はダウンタウンの北約1kmにキャンパスを構えている。同学は1882年 に創立された、フィンドレーに本部を置くチャーチズ・オブ・ゴッド・ゼネラル・カンファレンス系のリベラル・アーツ・カレッジ で、学部生約2,900人、大学院生約1,000人の学生を抱え、学生対教授の比は15:1である[ 6] 。また、チャーチズ・オブ・ゴッド・ゼネラル・カンファレンスの神学校であるワインブレナー神学校はフィンドレー大学に隣接して立地している。
フィンドレーにおけるK-12 課程はフィンドレー市学区の管轄下にある公立学校によって支えられている。同学区は小学校(幼稚園児-5年生)9校、中学校(6-8年生)3校、および高校(9-12年生)1校を有している。小学校は下級学年(幼稚園児-2年生)と上級学年(3-5年生)に分かれており、教職員がよりそれぞれの学年幅に適した教育ができるようになされている[ 7] 。
交通
フィンドレーに最も近い商業空港はトレド の西に立地し、フィンドレーからは車で約1時間のトレド・エクスプレス空港 (IATA : TOL )である。しかし、トレドという都市の規模の割にはこの空港の規模は小さく、就航している定期旅客便はアメリカン航空 によるシカゴ・オヘア への便、およびアレジャイアント航空によるオーランド・サンフォード とセントピーターズバーグ・クリアウォーターへの便のみである。より規模の大きい空港としては、デルタ航空 (旧ノースウエスト航空 )のハブ空港 で、同社の便を中心にアメリカ合衆国内外から多数の直行便が発着するデトロイト・メトロポリタン・ウェイン・カウンティ空港 (IATA: DTW )があり、フィンドレーの中心部からは車で約1時間40分である。市中心部から南西約1.8kmにあるフィンドレー空港(IATA: FDY )は、ゼネラル・アビエーション と呼ばれる、自家用機やチャーター機、ビジネスジェットなどの発着を主とした空港である。
市の西には州間高速道路 I-75 が南北に通っている。I-75はミシガン州 からフロリダ州 まで、合衆国を南北に縦断する幹線で、オハイオ州内においてはシンシナティ 、デイトン 、トレドを結び、オハイオ・ミシガン州境を越えてデトロイトへと通ずる、州西部の動脈となっている高速道路である。また、州道15号線はフィンドレーの南東のキャリー村で国道23号線に合流し、コロンバス へと通じている。
グレイハウンド のバスディーポはフィンドレーの中心部からかなり離れており、北郊のバンビューレンの西、I-75と州道613号線のインターチェンジ近くにある[ 8] 。このバスディーポからはシンシナティ方面、トレド・デトロイト方面、コロンバス方面の中長距離バスが発着する。
友好都市
人口推移
以下にフィンドレー市における1830年 から2010年 までの人口推移を表で、また1850年 から2010年 までの人口推移をグラフで示す。
統計年
人口
1830年
52人
1840年
469人
1850年
1,256人
1860年
2,467人
1870年
3,315人
1880年
4,633人
1890年
18,553人
1900年
17,613人
1910年
14,858人
1920年
17,021人
1930年
19,363人
1940年
20,228人
1950年
23,845人
1960年
30,344人
1970年
35,800人
1980年
35,533人
1990年
35,703人
2000年
38,967人
2010年
41,202人
註
外部リンク