フアン・カルロス・インファンテ(Juan Carlos Infante、1981年10月8日 - )は、ベネズエラ・カラカス出身のプロ野球選手(遊撃手)。現在はイタリアンベースボールリーグのフォルティチュード・ボローニャに所属している。
第3回WBCでは、「フアン・インファンテ」[2]、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」では、「フアンカルロス・インファンテ」[3]と表記された。
経歴
エクスポズ傘下時代
モントリオール・エクスポズ(現:ワシントン・ナショナルズ)と契約を結びプロ入りを果たした。
1999年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・エクスポズで26試合に出場し、打率.254、3打点だった[4]。
2000年もルーキー級ガルフ・コーストリーグでプレーし、42試合に出場。打率.238、12打点だった[4]。
独立リーグ時代
2001年はアメリカ合衆国の独立リーグであるオールアメリカン・アソシエーションのフォートワース・キャッツで46試合に出場し、打率.239だった[4]。2002年から2年間は球団に所属していない。
2004年、独立リーグであるノースイースト・リーグのニュージャージー・ジャッカルズで復帰。62試合に出場し、打率.267、4本塁打、26打点だった[4]。2005年に再び浪人となる。
アンツィオ時代
2006年はセリエAのオレル・アンツィオでプレーしたが、同年限りで退団。再び浪人となった。
独立リーグ時代
2008年は独立リーグであるカナディアン・アメリカン・リーグのオタワ・ラピッズで67試合に出場し、打率.242、1本塁打、20打点だった[4]が、シーズン途中に退団。ゴールデンベースボールリーグのエドモントン・キャピタルズへ移籍した。エドモントンでは20試合に出場し、打率.263、1本塁打、7打点を記録した[4]。
ボローニャ時代
2009年にイタリアンベースボールリーグ(IBL)のフォルティチュード・ボローニャと契約を結び、35試合に出場。打率.321、2本塁打、15打点だった[5][4]。また、第38回IBAFワールドカップのイタリア代表に選出されている。
2010年は42試合に出場し、打率.327、2本塁打、28打点、51安打を記録した[5][4]。第31回ヨーロッパ野球選手権大会のイタリア代表に選出された。
2011年は42試合に出場し、打率.260、2本塁打、19打点、44安打を記録した[5][4]。2大会連続で第39回IBAFワールドカップのイタリア代表に選出された。
2012年は42試合に出場し、打率.327、4本塁打、35打点、56安打を記録した[5][4]。W杯同様2大会連続で第32回ヨーロッパ野球選手権大会のイタリア代表に選出された。
2013年開幕前の3月には第3回WBCのイタリア代表に選出された[2]。シーズンでは24試合に出場し、打率.356、2本塁打、13打点を記録した[5][4]。
オフには2013年のアジアシリーズのメンバーにも選出される[6]。アジアシリーズ終了後に、母国ベネズエラのウィンターリーグであるリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルに参加し、ティグレス・デ・アラグアでに所属して。ウィンターリーグでは19試合に出場し、打率.176、1本塁打、7打点を記録した[4]。
2014年は20試合に出場し、打率.254、1本塁打、10打点を記録した[5]。9月1日には第33回ヨーロッパ野球選手権大会のイタリア代表に選出された[7]。
2015年2月17日に、同僚のアレッサンドロ・ヴァーリオと共に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の欧州代表に選出された[8][9]。3月10日の第1戦に「1番 三塁手」として先発出場している[10]。3月11日の第2戦には途中出場している[11]。
オフの10月23日に第1回WBSCプレミア12のイタリア代表選手28名に選出された[12]。
選手としての特徴
詳細情報
代表歴
脚注
外部リンク
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