1836年にテュークスベリー(Tewkesbury)近くの屋敷に移り、イブシャム(Evesham)の地質の研究を行い、ロンドン地質学会に論文を提出した。地質学者のロデリック・マーチソンにウィリアム・ジョン・ハミルトンを紹介され、1835年にハミルトンとレバント地方の地質学調査を行い、ボスポラス海峡のトラキア側やザキントス島なども訪れた。後にこの旅行の成果を"Researches in Asia Minor, Pontus and Armenia (1842)として"発表した。その後ウスターやウォーリックの地層の化石などを研究し、1840年にマーチソンと"On the Upper Formations of the New Red Sandstone System in Gloucestershire, Worcestershire and Warwickshire"を発表した。