パリ国立高等鉱業学校(パリこくりつこうとうこうぎょうがっこう、フランス語: École nationale supérieure des mines de Paris〈エコール・ナショナル・シュペリウール・デ・ミンヌ・ド・パリ〉、略称: ENSMP)は、フランス・パリの工学系グランゼコール。PSL研究大学構成校。
理工科学校(エコール・ポリテクニーク)、国立土木学校に並ぶフランス理工系の最高峰であり、多くの技術者や技術官僚を輩出している。
通称はミンヌ・パリテック(Mines ParisTech)、エコール・デ・ミンヌ(École des Mines)、エコール・デ・ミンヌ・ド・パリ(École des Mines de Paris)、あるいは単にミンヌ・パリ(Mines Paris)やミンヌ(Mines)など。略称はENSMP。
工学系グランゼコールの中で、国立土木学校 、エコール・ポリテクニーク、エコール・サントラル・パリと並ぶ名門校であり[1][2]、現在でも入学難易度が高いことで知られている。また、卒業生は実業界において重要な位置を占めるなど、幅広い活躍で知られる。パリの科学技術研究機関であるParisTechの有力なメンバーである。
1967年、パリ近郊のフォンテーヌブローとエヴリーに校舎が設けられ、1976年には南仏のソフィア・アンチポリスのテクノポリスにも校舎が設けられた。
グランゼコールの他の国立高等鉱業学校等としては、ドゥエー校 (fr)、ナンシー校 (fr)、ブルターニュ・ロワール(ブレスト・ナント・レンヌ)校 (fr)、サン=テティエンヌ校 (fr)、アルビ=カルモー校 (fr [3])、アレス校 (fr) などが置かれている。
ルイ16世の勅命により王立鉱業学校 (l'École royale des Mines) として1783年に創立され、造幣局(Hôtel de la Monnaie、現在のパリ6区、パリ造幣局博物館)に設置された。フランス革命の初期には一時閉鎖されたが、1794年に国家公安委員会の布告によって再建された。1802年にはサヴォワ県に移された。その後、1814年のフランス復古王政の後、校舎は現在のリュクサンブール公園内の東側にあるヴァンドーム館(fr, 現在のパリ6区サン=ミッシェル大通り60番地)におかれた。
ヴァンドーム館の沿革や名称の由来は、1707年に建築家アレクサンドル・ル・ブロンにより建造され、1714年にヴァンドーム公ルイ・ジョゼフ・ド・ブルボン未亡人マリー・アンヌ・ド・ブルボン=コンデ (en) がタウンハウスに借りたため。のちに光学科学者の第5代ショーヌ公ミシェル・ダルベール (fr) らショーヌ公一族が居住したりしたが、フランス革命期に没収された。1794年に同館に現在まで続く鉱物学博物館 (fr) が設置され、1815年からミンヌの校舎に用いられている。
元来は鉱業技術者の養成校として設立されたが、工業技術の発達や社会の変化とともに、工学分野一般の技術者を養成する学校となり、現在にいたる。卒業生は、実業界において経営者などの重要な位置を占めることが想定されており、技術者としてだけでなく、経済、経営、社会科学などの分野において高い教育を受ける(例えば、社会科学学科はブルーノ・ラトゥールによる授業が行われている)。
パリ国立高等鉱業学校は複数の教育課程がある。
ENSMPは世界大学ランキングを作成している機関の一つである。上海交通大学の大学ランキングがノーベル賞とフィールズ賞の数に基づいて学術的なものであるのに対し、ENSMPはフォーチュン・グローバル500にランクされる世界上位500社の経営者の数を対象とした職業人のものである[4]。
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