バウルチとは、モンゴル帝国皇帝(カーン)に仕えるケシクテイ(親衛隊)の職掌の一つで、カーンの飲食の世話を掌る「主膳の司」を意味するモンゴル語。『元史』巻99などでは「みずから烹飪して以て飲食を奉上する者をバウルチ/博爾赤と言う(親烹飪以奉上飲食者、曰博爾赤)」と記されている。
概要
バウルチの語源は「肝臓」を意味する古テュルク語のbaur/baγurにあり、ここから転じて「美味な食物」を意味するようになり、更に接尾詞の-čiがついて「料理人」や「司厨長」を意味するようになったと考えられている[1]。また、4世紀に鮮卑人が建国した北魏には「貴人の食を作る人」を意味する「附真(bawurčin)」という官職があったことが記録されている[2]。
『モンゴル秘史』によると、チンギス・カンによって最初にバウルチに任命されたのはオングル、スイケトゥ・チェルビ、カダアン・ダルドルカンの3名で、彼等は「朝の食べ物をえ欠かすまじ 夕べの飲み物をえ怠るまじ」という言葉とともにバウルチに任ぜられたという[3]。バウルチの裏切りは即カーンの死につながるため、代々バウルチはケシクテイの中でも特に信任の厚い者が選ばれていた[4]。
大元ウルス(元朝)の時代に入ると、饗宴・飲食などを掌る宣徽院が設立されたが[5]、元代の宣徽院はカーンのバウルチが長を務めるもので、事実上バウルチの漢訳の一つに過ぎなかった[6]。また、大司農司も設立にクビライのバウルチであったボロトが関わっており、歴代長官はバウルチが務めている[7]。
歴代バウルチ
脚注
- ^ 村上1970,263-264頁
- ^ 宮2018,492頁
- ^ 村上1970,256頁
- ^ 宮2018,493頁
- ^ 『元史』巻世祖本紀3,「[至元五年]五月辛亥朔、以太醫院・拱衛司・教坊司及尚食・尚果・尚醞三局隸宣徽院」
- ^ 高橋2017,222-223頁
- ^ 宮2018,332-333頁
参考文献
- 村上正二訳注『モンゴル秘史 1巻』平凡社、1970年
- 高橋文治ほか『「元典章」が語ること 元代法令集の諸相』大阪大学出版会、2017年
- 宮紀子『モンゴル時代の「知」の東西』名古屋大学出版会、2018年