ハントリー侯爵 (英語 : Marquess of Huntly )は、イギリス の貴族 、侯爵 。スコットランド貴族 筆頭侯爵(Premier Marquess in Scotland) 。
1445年 創設のハントリー伯爵位を前身とし、1599年 に第6代ハントリー伯爵ジョージ・ゴードン (英語版 ) が叙されたのに始まる。1684年 に4代ハントリー侯爵ジョージ・ゴードン がゴードン公爵 に叙せられ、一時その従属爵位となったが、ゴードン公爵位は1836年 に絶えている。一方ハントリー侯爵位は分流に継承されて現存している。
歴史
現在のハントリー侯爵家の邸宅アボイン城 (英語版 )
スコットランド のゴードン氏族 (英語版 ) の長であるアレグザンダー・ゴードン (英語版 ) (-1470) は、1445年 7月3日 にスコットランド貴族 爵位「ハントリー伯爵 (Earl of Huntly)」に叙された[ 1] [ 2] 。
2代ハントリー伯ジョージ・ゴードン (英語版 ) (-1501年) や、3代ハントリー伯アレグザンダー・ゴードン (英語版 ) (-1524) の長男ゴードン卿ジョン・ゴードン (英語版 ) (-1517) はスコットランド 国王ジェームズ4世 の娘を妻に迎えている[ 1] 。
6代ハントリー伯ジョージ・ゴードン (英語版 ) (1562–1636) はカトリック 教徒で、1589年 にスペイン 王フェリペ2世 と密約を交わした容疑にかけられたが、スコットランド王ジェームズ6世 の配慮により寛大な措置で済んだだけでなく、1592年 にはジェームズ6世の命令で、国王襲撃事件を起こしたボスウェル伯 フランシス・ステュアート (英語版 ) の共犯とされた第2代マリ伯爵 ジェームズ・ステュアート (英語版 ) を殺害した後は王に匿われるなど厚遇された[ 3] 。1599年 4月17日 にスコットランド貴族爵位「ハントリー侯爵 (Marquess of Huntly)」「インジー伯爵 (Earl of Enzie)」「バデノックのゴードン卿 (Lord Gordon of Badenoch)」に叙せられた
[ 4] [ 5] 。
2代ハントリー侯ジョージ・ゴードン (英語版 ) (1592–1649) はイングランド 王兼スコットランド王チャールズ1世 に仕え、宗教問題で王と対立したスコットランド国民盟約 と戦ったが、1639年 の主教戦争 におけるディー橋の戦いで盟約派 のモントローズ伯爵 (後にモントローズ侯爵)ジェイムズ・グラハム に敗れ捕虜になった[ 6] 。
1642年 から清教徒革命 が始まると2代侯は王党派 に入り引き続きチャールズ1世に仕えたが、不仲だった長男のジョージ・ゴードン卿が母方の伯父に当たる盟約派のアーガイル侯爵 アーチボルド・キャンベル に味方したためゴードン氏族は分裂した[ 7] 。2代侯は次男のアボイン子爵 (英語版 ) ジェイムズ・ゴードン (英語版 ) (1620頃-1649) と共に王党派に留まり、1644年 3月にスコットランド北東のアバディーン を乗っ取って国王支持を表明、かつての敵だったモントローズ侯も呼応したが、アーガイル侯ら盟約派に機先を制され2代侯はアバディーンから逃亡した[ 8] 。モントローズ侯がスコットランド内戦 (英語版 ) でスコットランドを転戦する中2代侯は動かず、代わりにゴードン卿が盟約派から離反して1645年 2月2日 のインヴァロッヒーの戦い に勝利したモントローズ侯率いる王党派の軍に合流したが、7月2日 のアルフォードの戦い (英語版 ) で王党派の勝ち戦の最中に戦死した[ 9] 。
ゴードン卿の死後実質的にゴードン氏族を率いた弟のアボイン子爵は兄と異なり、モントローズ侯から離脱した。2代侯もモントローズ侯と協力せず、落ち目になったモントローズ侯は没落していった。1646年 になると2代侯はモントローズ侯に代わるスコットランド王党派の中心になろうと画策したり、イングランド内戦 (第一次イングランド内戦 )に敗れ盟約派に監禁されたチャールズ1世の脱走受け入れを計画したがいずれも失敗[ 10] 、1649年 の2代侯の死後ハントリー侯爵位は三男でゴードン卿とアボイン子爵の弟であるルイス・ゴードン (英語版 ) (1626頃–1653) が継承している。
2代侯は特別継承権で彼か彼の父の死後に次男ジェイムズ・ゴードンに継承されるアボイン子爵に叙せられている。その規定通り初代ハントリー侯の死後にジェイムズは第2代アボイン子爵となったが、子供を残さずに父の2代侯に先立って死亡したため同子爵位は2代で廃絶している[ 11] 。兄のジョージ・ゴードン卿も子供無く先立って死んでいたのでハントリー侯爵位はルイス・ゴードンが継承している。また四男チャールズ・ゴードン はスコットランド貴族「アボイン伯爵 (英語版 ) 」と「ストラサヴォン及びグレンリベットの第9代ゴードン卿 (Lord Gordon of Strathavon and Glenlivet)」に叙せられている。後にこのアボイン伯爵家がハントリー侯爵位を継承することになる[ 4] 。
4代ハントリー侯ジョージ・ゴードン (1643–1716) は、1684年 11月1日 にスコットランド貴族爵位「ゴードン公爵 (Duke of Gordon)」、「ハントリー侯爵 (Marquess of Huntly)」「ハントリー=インジー伯爵 (Earl of Huntly and Enzie)」、「インヴァーネス子爵 (Viscount of Inverness)」、「バデノック、ロシャベール、ストラサヴォン、ベルモア、オーチドン、ガースィー及びキンカーディン卿 (Lord Badenoch, Lochaber, Strathavon, Balmore, Auchidon, Garthie and Kincardine)」に叙せられた[ 12] [ 13] 。しかしこれらの爵位群は、5代ゴードン公爵ジョージ・ゴードン (1770–1836) が後継者なく死去したことで廃絶している[ 12] (後に女系の子孫であるリッチモンド公爵 レノックス家が新規に連合王国貴族としてゴードン公爵位を与えられている)[ 14] 。
ハントリー侯爵位のみ2代侯に遡っての分流である第5代アボイン伯爵ジョージ・ゴードン (1761–1853) に継承された。しかしこの際、ハントリー侯爵位と一緒に創設されたはずのインジー伯爵位とバデノックのゴードン卿の爵位の継承は認められなかった。またハントリー伯爵位は女系継承が可能な爵位との反論があり、リッチモンド公爵家が継承者である可能性があるため、やはり継承を認められなかった[ 4] 。しかし彼は先立つ1794年 にスコットランド貴族爵位「アボイン伯爵 (Earl of Aboyne)」と「ストラサヴォン及びグレンリベットの第9代ゴードン卿 (Lord Gordon of Strathavon and Glenlivet)」を継承しており、また1815年 には連合王国貴族 爵位「アバディーン州におけるモーヴァンのメルドラム男爵 (Baron Meldrum, of Morven in the County of Aberdeen)」に叙されているため、これらがハントリー侯爵位の新たな従属爵位となった[ 4] 。
以降今日まで彼の子孫によってそれらの爵位は継承され続けている。2015年 現在の当主は13代ハントリー侯グランヴィル・ゴードン (英語版 ) (1944-) である[ 4] 。
本邸はスコットランド ・アバディーンシャー にあるアボイン城 (英語版 ) である[ 4] 。一族のモットーは「計略ではなく勇気を持て (Animo Non Astutia)」[ 4] 。
現当主の全保有爵位
現当主13代ハントリー侯グランヴィル・ゴードン (英語版 ) は以下の爵位を保有している[ 15] [ 4] 。
第13代ハントリー侯爵 (13th Marquess of Huntly)
(1599年創設スコットランド貴族爵位)
第9代アボイン伯爵 (英語版 ) (9th Earl of Aboyne)
(1660年 創設スコットランド貴族 爵位)
ストラサヴォン及びグレンリベットの第9代ゴードン卿 (9th Lord Gordon of Strathavon and Glenlivet)
(1660年 創設スコットランド貴族 爵位)
アバディーン州におけるモーヴァンの第5代メルドラム男爵 (5th Baron Meldrum, of Morven in the County of Aberdeen)
(1815年創設連合王国貴族 爵位)
一覧
ハントリー伯 (1445年)
ハントリー侯 (1599年)
ゴードン公 (1684年)
ハントリー侯 (1599年)
家系図
ゴードン及びゴードン=レノックス家: ハントリー伯爵 ハントリー侯爵 ゴードン公爵(1期) ゴードン公爵(2期)
脚注
注釈
出典
^ a b Heraldic Media Limited. “Huntly, Earl of (S, c.1445) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年11月28日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Alexander Gordon, 1st Earl of Huntly ” (英語). thepeerage.com . 2015年11月28日 閲覧。
^ トランター、P250 - P254、小林、P230、P233、P263。
^ a b c d e f g h Heraldic Media Limited. “Huntly, Marquess of (S, 1599) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2010年10月11日時点のオリジナル よりアーカイブ。2015年11月28日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Alexander Gordon, 1st Earl of Huntly ” (英語). thepeerage.com . 2015年11月28日 閲覧。
^ トランター、P274 - P275。
^ ウェッジウッド、P144、P277 - P278。
^ ウェッジウッド、P284 - P285、P320 - P323。
^ トランター、P279、ウェッジウッド、P374、P405 - P406、P431 - P432、P496 - P498。
^ ウェッジウッド、P517、P581 - P582、P629、P634 - P635。
^ Heraldic Media Limited. “Aboyne, Viscount of (S, 1632 - 1649) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年11月28日 閲覧。
^ a b Heraldic Media Limited. “Gordon, Duke of (S, 1684 - 1836) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年11月28日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “George Gordon, 1st Duke of Gordon ” (英語). thepeerage.com . 2015年11月28日 閲覧。
^ Heraldic Media Limited. “Richmond, Duke of (E, 1675) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2015年11月28日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Granville Charles Gomer Gordon, 13th Marquess of Huntly ” (英語). thepeerage.com . 2015年11月28日 閲覧。
参考文献
関連項目