停車場・施設・接続路線
M-R線 (S9), Br線 (S 33)
グラーベン=ノイドルフ北駅
39.4
グラーベン=ノイドルフ
ブルーライン線 (S 33)
マンハイム - ラシュタット線 (S9)
45.6
旧ホッホシュテッテン旧駅
46.9
旧リンケンハイム旧駅
カールスルーエ工科大学 方面
50.1
レオポルツハーフェン旧駅
Pfinz-Entlastungskanal
ホッホシュテッテン方面
6.6
シュヴェーリン街
112 m
5.8
シュポェッカー路
112 m
5.4
エゲンシュタイン駅
112 m
52.6
旧エゲンシュタイン
112 m
4.9
エゲンシュタイン南駅
112 m
国道B36
旧線(~1913)
ドイツ軍兵站施設連結線
2.7
ノイロイト・キルヒフェルト
113 m
2.4
アドルフ・エーマン・バート
113 m
ノイロイト
1.8
ベーレンヴェーク
113 m
1.3
ヴェルシュノイロイト街
カールスルーエ市電線連結
国道B36
ヴィンテン - カールスルーエ線 (S52)
60.4
カールスルーエ・ミュールベルク
ヴィンテン - カールスルーエ線 (S52)
0.000
↑カールスルーエ市電 / AGV↓
EBO / BOStrab
ハルト線
1.3
ヴェルシュノイロイト街
ハルト線参考
6.6
シュヴェーリン街
112 m
旧ハルト線(マンハイム方面)
Pfinz-Entlastungskanal
7.2
レオポルツハーフェン・フィアーモルゲン
111 m
8.1
レオポルト街
111 m
8.5
フランクフルト街 ロープ線有り
111 m
カールスルーエ工科大学 方面 (S11)
10.4
リンケンハイム南駅
110 m
10.8
リンケンハイム・フリードリヒ街
108 m
10.9
一般鉄道と市街電車の関連法規転換
11.3
リンケンハイム市役所
11.9
リンケンハイム学院センター
12.2
ホッホシュテッテン・グレンツ街
12.7
ホッホシュテッテン高齢者施設
12.9
ホッホシュテッテン S1終点 (ロープ線有り)
エゲンシュタイン駅
112 m
52.6
旧エゲンシュタイン
112 m
エゲンシュタイン南駅
112 m
移設区間(1913)
旧ノイロイト
ノイロイトハイデ 系統1終点 (ロープ線有り)
旧飛行場方面 (1952~1955)
ハイデホーフ
デュアルシステム州立大学
リリエンタール街
ユダヤ教会堂
芸術アカデミー
ミュールベルク門方面
旧マークサウ鉄道 (W-K線)
カイザー大通り
旧ミュールベルク門駅
旧バーデン本線 、旧軍事鉄道
旧カールスルーエ
旧バーデン本線 、旧軍事鉄道
貨物輸送用キロ程の零点はマンハイムにある。
市街電車用キロ程の零点はハウスベードレヘム近くにある。
ハルト線 (ドイツ語: Hardtbahn)はバーデン=ヴュルテンベルク州 カールスルーエ とリンケンハイムを結ぶ都市電車向けの鉄道路線で、1870年にバーデン・ライン線 の一部として開通された。1895年グラベン=ノイドルフ - カールスルーエ間の新線 が軍事的な目的で開通された以来、この路線はバーデン・ライン線から分離されて、その支線として降等されている。1979年以来この路線は都市電車路線 として運用されている。
歴史
バーデン邦有鉄道
マンハイム - カールスルーエ間鉄道建設が計画された際には、南側部分の経路について大公フリードリヒ1世 はリンケンハイム、エゲンシュタイン経由路線の案件に優先権を与えた。1870年8月4日にマンハイム - カールスルーエ間はハルト森を通過する経路で開通された[ 1] [ 2] 。フランスとの軍事的対立のため、軍事鉄道の建設が必要となって、グラーベン=ノイドルフ - カールスルーエ区間の新線およびカールスルーエ - アグノー間が1895年に開通された。その以来この路線はライン線から分離されている。
1900年にカールスルーエ駅の移転が決定されて、中央駅は1913年に当時の市街地南端に設置された。その結果、エゲンシュタイン - ミュールベルク間は移設されて、列車は新しい中央駅へ走行することとなった。ノイロイト駅もその関係で本来の場所から西の方へ移転された。
ドイツ連邦鉄道
1950年代に乗客数が継続的に減少して、1967年5月28日に旅客列車路線が廃止された[ 3] 。その時期にグラーベン=ノイドルフ - カールスルーエ原子力研究センター (現在カールスルーエ工大北研究団地)の分岐点間で線路が引き続いて撤去された。ノイロイトのアメリカ軍部隊と研究センターの貨物輸送の影でミュールベルク - 原子力研究所区間は存続できた[ 3] 。
1975年ノイロイトがカールスルーエ市に編入された後に、ハルト線の線路を路面電車向けに活用する計画が公表された。その為にアルプタール交通会社(Albtal-Verkehrs-Gesellschaft mbH, AVG)はドイツ連邦鉄道 と長期間に難解な交渉を行って、1977年12月23日この路線に路面電車と貨物列車が共に使用する内容の協定を締結した[ 3] 。1979年10月5日ノイロイトの改修区間が新たに開業され、ヴェルシュノイロイト街 - ノイロイト・キルヒハイム間はハルト線上におけるA号線区間となった[ 4] 。A号線の延長は連邦鉄道の旧線に市街電車を走行させる形態で、「カールスルーエモデル」発展段階の一つであった。
1982年7月2日にカールスルーエ市、エゲンシュタイン=レオポルズハーフェン町、リンケンハイム=ホッホシュテッテン町は都市電車路線をホッホシュテッテンまで延長する協約を結んだ[ 5] 。1985年11月から1986年12月までハルト新線のノイロイト - レオポルズハーフェン区間の延長工事が行われた。レオポルズハーフェン区間は町の中心部に移設された。1987年と1988年には「停車場プログラム」によって乗降場は高さ38 cmで改修された[ 6] 。1989年6月3日ハルト線はホッホシュテッテンまで延長された。リンケンハイム=ホッホシュテッテン町では新線が旧連邦道のカールスルーエ街に隣接して建設されたので、現在まで狭い通路と自家用車交通との摩擦の恐れがある[ 7] 。
1989年以後の改修と発展
1989年12月8日より市街電車はカールスルーエ工大 北研究センター駅へ1日2往復で運行されている[ 7] 。1990年初、研究センターへ出入する貨物列車がレオポルズハーフェンの新線を経由することが合議されて、エゲンシュタイン - 研究センター分岐点間は必要なくかった。その区間は1997年5月公式的に廃止された。1990年にノイロイト区の区間に、1992年にレオポルドにおけるフランクフルト街駅とループ線の間に、1993年の初めエゲンシュタイン - シュヴェーリン街駅間に、複線線路はそれぞれ備えられた。
1994年にカールスルーエ運輸連合(Karlsruher Verkehrsverbund, KVV)が設立されて、A号線はバート・ヘレンアルプ方面のS1系統とイッテルスバッハ方面のS11系統に分離された。1995年12月にエゲンシュタイン南駅が開業された。同時に、その停車場まで複線区間が拡張されて、エゲンシュタイン区間で複線の運行が確立された。1997年にノイロイト・キルヒフェルト駅と国道36号上鉄道橋の間は複線で改修されて、ノイロイト - エゲンシュタイン間の単線線路は約500 mほど残った。
2006年5月以来、カールスルーエ市内の旧線はカールスルーエ市営交通(Verkehrsbetriebe Karlsruhe, VBK)の市電3系統向けで、部分的に活用されている。
運行形態
この路線の運賃システムはカールスルーエ運輸連合により管理されている[ 8] 。
都市広域電車(S1): ホッホシュテッテン - リンケンハイム - レオポルズハーフェン - エゲンシュタイン - ノイロイト - ヨルク街 - 市場広場 - カールスルーエ - エットリンゲン - バート・ヘレンアルプ。
都市広域電車(S11): ホッホシュテッテン - リンケンハイム - レオポルズハーフェン - エゲンシュタイン - ノイロイト - ヨルク街 - 市場広場 - カールスルーエ - エットリンゲン - イッテルスバッハ。
貨物列車はエゲンシュタインからクニーリンゲン産業団地を貫通する線路上を走行して、稀に放射性廃棄物や軍用貨物を運搬している。他に保存用蒸気機関車は旧駅舎の公開日に運行される。
参考文献
Klaus Bindewald (1998). Albtal-Verkehrs-Gesellschaft mbH. ed (ドイツ語). Die Albtalbahn Geschichte mit Zukunft. Von der Schmalspurbahn zur modernen Stadtbahn . Ubstadt-Weiher: Verlag Regionalkultur. ISBN 3-929366-79-7
Stadtarchiv Karlsruhe (2000). Verkehrsbetriebe Karlsruhe durch Manfred Koch. ed (ドイツ語). Unter Strom. Geschichte des öffentlichen Nahverkehrs in Karlsruhe . Veröffentlichungen des Karlsruher Stadtarchivs. Band 20 . Karlsruhe: Badenia Verlag. ISBN 3-7617-0324-4
Peter-Michael Mihailescu; Matthias michalke (1985) (ドイツ語). Vergessene Bahnen in Baden-Württemberg . Stuttgart: Konrad Theiss Verlag. pp. pp. 35~38. ISBN 3-8062-0413-6
外部リンク
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脚注
^ Koch (Hrsg.): 2000, p. 129
^ “Norddeutsche Briefe: Badische Eisenbahnen” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 42): p. 712. (1870年10月21日). https://digitale-sammlungen.de/de/view/bsb10934039?page=740,741
^ a b c Bindewald: 1998 p. 107
^ Bindewald: 1998 p. 108
^ Bindewald: 1998 p. 184
^ Bindewald: 1998 p. 185
^ a b Bindewald: 1998 p. 109
^ “Tarifwabenplan ” (ドイツ語). kvv.de . Karlsruher Verkehrsverbund GmbH. 2022年10月30日 閲覧。