ドーン・アダムズ[1][2][注釈 1](Dawn Addams, 1930年9月21日 - 1985年5月7日)はイギリスの女優。1950年代にはメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の作品を中心に映画女優としてハリウッドで、1960年代から1970年代にかけてはイギリスのテレビ界で活躍した。チャールズ・チャップリンの1957年の作品『ニューヨークの王様』ではヒロインを務め、スペンサー・トレイシーやデヴィッド・ニーヴンといった名優とも共演を重ねた。
生涯
1930年9月21日、サフォークのフェリックストウに生まれる[3]。生後間もなく一家はイギリス領インド帝国のカルカッタに移るが、カルカッタに移ってのち母が亡くなり、以降は母方の祖父母に育てられることとなった[3]。ドーンは5歳になってからイギリスに戻る[2]。妻に先立たれた父親は1942年10月にモンテシート(英語版)で女優のアーリーン・ジャッジと再婚するが、その生活も1945年7月で終わる[3]。ドーンは物心ついてから父親に女優になることを打ち明けたあと、王立演劇学校に進んで女優の道を歩み始めることとなり、1949年に初舞台を踏む[2]。舞台デビュー翌年の1950年、若年ながら小劇団を率いて巡業していたドーンはMGMにスカウトされ、1951年のレイ・ミランド主演の映画『夜から朝まで』のドッティ・フェルプス役で銀幕にデビューした[2][4][注釈 2]。MGMでのドーンは『雨に唄えば』(1952年)のテレーザ、『月蒼くして』(1953年)のシンシア・スレーターおよび『聖衣』(1953年)のユニアといった役柄で出演する[2][4][5]。私生活の面では1954年にロッカセッカ公ドン・ヴィットリオ・エマヌエーレ・マッシモと結婚し[4][5]、ローマに移り住んでいた[2]。翌1955年1月10日には長男ステファノ・マッシモを出産する[5]。
この間、ドーンはチャップリンの『ライムライト』のヒロインであるテリー役のオーディションを受ける[6]。テリー役にはクレア・ブルームが選ばれてドーンはその座を逃したが、その存在はチャップリンの記憶の中に残っていた。チャップリンは1954年に、のちに『ニューヨークの王様』として結実する、祖国を追放されニューヨークに滞在する国王を題材とした作品の製作を発表し、ヒロインである若い女性広告エージェントであるアン・ケイ役の人選に取りかかった[1][6]。当初、この役にはヴォードヴィル芸人の孫でもあったケイ・ケンドールの起用が考えられ、チャップリンの妻のウーナや片腕のジェリー・エプスタインがその考えに同調していた[1][6]。ところが、ケイの出演作の一つである『ジュヌヴィエーヴ(英語版)』を見たチャップリンは気が変わり、ケイの起用はなくなった[1]。代わってチャップリンがヒロイン役として目星をつけたのがドーンであった。チャップリンはドーンに電話で直接出演交渉し、さらにドーンがコルシェ・スール・ヴヴェイ(英語版)のマノワール・ド・バン(英語版)[注釈 3]を訪問して、正式にヒロインとして選ばれることとなった[2]。完成した『ニューヨークの王様』は、チャップリン自身がその犠牲となったマッカーシズムを皮肉り、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどといった若い世代の映像作家に多大な影響を与えた[7]。ドーンも、金に窮する国王をコマーシャルや整形手術などに誘う広告エージェントの役を好演した。イギリス映画である『ニューヨークの王様』はさておいて、この時期のドーンの出演作は前述のMGM時代の作品も含め、ハリウッドのモラルから多少逸脱するものが多かったが、ニューヨークを中心に一定以上の支持を集めた[4]。
1960年代以降のドーンは『怪人マブゼ博士(英語版)』(1960年)のヒロインなど定期的な映画出演の傍らでテレビドラマにも進出。私生活でも1966年3月に次男ノエル・ショーン・パトリック・アダムズを出産するが、ノエルは生後半年で気管支炎により亡くなってしまった[3][5]。1971年4月23日にはロンドンでマッシモと離婚する[3]。2年後の1973年、長男ステファノが映画プロデューサーのアイヴァン・フォックスェルの娘と婚約し、ドーンはこの婚姻に賛成の意を示した[3]。その翌年の1974年、ドーンはジミー・ホワイトと再婚した[3][4][5]。1980年代に入ってからは癌を患い、代替医療のためにフロリダに行ったりした[3]。1985年3月から4月にかけてはアメリカ滞在中に3週間ほど昏睡状態に陥り、意識が回復したのちロンドンに戻った[3][4]。それから間もない1985年5月7日、ドーン・アダムズはロンドンの病院で54年の生涯を終えた。
主な出演作品
インターネット・ムービー・データベースのデータによる。
映画
公開年 |
邦題 原題 |
役名 |
備考
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1951 |
夜から朝まで Night Into Morning |
ドティ・フェルプス |
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1952 |
雨に唄えば Singin' in the Rain |
テレサ |
クレジットなし
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1953 |
悲恋の王女エリザベス Young Bess |
ケイト・ハワード |
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月蒼くして The Moon Is Blue |
シンシア・スレイター |
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聖衣 The Robe |
ジュリア |
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1954 |
宇宙への挑戦 Riders to the Stars |
スーザン・マナーズ |
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寝台の秘密 Secrets d'alcôve |
ジャネット |
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1955 |
海底の争奪 Il tesoro di Rommel |
ソフィア |
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1956 |
第五戦線・遠い道 Londra chiama Polo Nord |
メアリー |
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1957 |
チャップリンのニューヨークの王様 A King in New York |
アン・ケイ |
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1958 |
潜航電撃隊 The Silent Enemy |
ジル・マスターズ |
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狂った本能 L'île du bout du monde |
ヴィクトリア |
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1959 |
逆襲の河 I battellieri del Volga |
イリーナ・タチアナ |
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気分を出してもう一度 Voulez-vous danser avec moi? |
アニタ・フロレス |
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1960 |
怪人マブゼ博士 Die 1000 Augen des Dr. Mabuse |
マリオン・メニル |
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ジキル博士の二つの顔 The Two Faces of Dr. Jekyll |
キティ |
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激しい夜 Les menteurs |
ノーマ・オブライエン |
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1961 |
恋のラストチャンス Follow That Man |
ジャネット・クラーク |
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1963 |
翼のリズム Come Fly with Me |
ケイティ・リナード |
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1964 |
黒いチューリップ La Tulipe noire |
Catherine de Vigogne |
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星空 Ballad in Blue |
ジーナ・グラハム |
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1966 |
続・殺しのライセンス Where the Bullets Fly |
フェリシティ・ムーンライト |
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1970 |
バンパイア・ラヴァーズ The Vampire Lovers |
伯爵夫人 |
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1971 |
哀愁のパリ Sapho ou La fureur d'aimer |
マリアン |
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1973 |
墓場にて/魔界への招待・そこは地獄の始発駅 The Vault of Horro |
Inez |
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テレビ
- The Alan Young Show (1953)
- Sherlock Holmes (1955)
- The Edgar Wallace Mystery Theatre (1955)
- The Saint (1963 - 66)
- Armchair Theatre (1970 - 71)
- Father Dear Father (1971 - 73)
- Star Maidens (1976)
- Triangle (1983)
脚注
注釈
- ^ 「ドーン・アダムス」と濁らない資料もある(#大野 (2005) p.179)
- ^ 『夜から朝まで』での共演者の中には、のちのファーストレディであるナンシー・デイヴィスがいた(#Imdb)。
- ^ 1953年1月以降のチャップリン邸(#ロビンソン (下) p.299)
出典
参考文献
サイト
印刷物
関連項目