ドリネル・ムンテアヌ(Dorinel Munteanu、1968年6月25日 -)は、ルーマニアの元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(攻撃的MF)、DF(サイドバック)。
来歴
クラブ
ムンテアヌは1986年に2部リーグのメタルル・ボチシャで選手経歴を開始した。その後、幾つかのルーマニア国内のクラブを渡り歩き1991年に強豪のディナモ・ブカレストへ移籍。1993年以降は国外へ活躍の場を求め、ベルギーのサークル・ブルッヘ、1995年にドイツの1.FCケルン、1999年から2003年までは同じドイツのVfLヴォルフスブルクでプレーをした。
2003年、35歳の時にルーマニアへ帰国しステアウア・ブカレストへ移籍したが、クラブの首脳陣と対立し2005年に退団。ステアウアを退団後は選手兼任監督となり、ルーマニア国内の複数のクラブで指揮を執った。
代表
ルーマニア代表としては1991年5月23日のノルウェー戦で代表デビューを飾った。ムンテアヌは左サイドバック、左サイドハーフ、攻撃的MFなどの様々なポジションをこなすユーティリティープレーヤーとして重用され、1994年のワールドカップ・アメリカ大会、1996年の欧州選手権、1998年のワールドカップ・フランス大会、2000年の欧州選手権に出場した。
2001年に敵地のブダペストで行われたハンガリー戦で100試合出場を達成し、4年後の2005年にはゲオルゲ・ハジの記録を更新する126試合出場を達成した。ムンテアヌは2007年に代表から退くまでルーマニア歴代最多となる134試合に出場し16得点を記録した。
監督業
2008年9月からはウニヴェルシタテア・クルージュの選手兼任監督を務めていたが7試合の指揮を務めた後の10月に辞任。同月27日にマリウス・ラカトゥシュの後任としてステアウア・ブカレストの監督に就任した。しかし、リーグ戦では不振が続き、UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09では最下位でグループリーグ敗退に終わると、同年12月16日に解任された[2]。
2009年から2012年まではFCオツェルル・ガラツィを指揮し、リーグ優勝やUEFAチャンピオンズリーグ出場を果たした。2012年11月から12月までディナモ・ブカレスト監督となる。海外での指揮を望んでいたため、ロシアのFCモルドヴィア・サランスクのオファーを受け入れ、監督に就任したが2部降格となった。2013年8月にはクバン・クラスノダール監督を務めたものの、10月に成績不振で退任。
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 134試合 16得点(1991年-2007年)[3]
ルーマニア代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
1991 |
7 |
2
|
1992 |
8 |
0
|
1993 |
9 |
0
|
1994 |
13 |
0
|
1995 |
6 |
2
|
1996 |
10 |
0
|
1997 |
5 |
3
|
1998 |
14 |
1
|
1999 |
10 |
2
|
2000 |
11 |
1
|
2001 |
11 |
1
|
2002 |
7 |
2
|
2003 |
8 |
2
|
2004 |
0 |
0
|
2005 |
9 |
0
|
2006 |
3 |
0
|
2007 |
3 |
0
|
通算 |
134 |
16
|
タイトル
選手時代
- FCインテル・シビウ
- FCディナモ・ブカレスト
- FCステアウア・ブカレスト
- 個人
- ベルギー・ファースト・ディビジョン年間最優秀選手:1回(1993-94)
指導者時代
- FCオツェルル・ガラツィ
脚注
外部リンク