デルタ航空191便墜落事故(デルタこうくう191びんついらくじこ、Delta Air Lines Flight 191)は、1985年8月2日、フロリダ・フォートローダーデール発テキサス州ダラス・フォートワース経由カリフォルニア州ロサンゼルス行き、デルタ航空191便(ロッキード L-1011-385-1 トライスター)が、着陸前に急降下・旋回し、滑走路手前の高速道路・空き地に墜落し、滑走路手前の空き地の貯水タンクに突っ込み、爆発炎上し、乗員乗客134名と高速道路を走行していた車のドライバー1名、計135名が死亡した事故である。
概要
乗員乗客163名のうち、被害が少なかった機体後方の乗客など29名(乗員3名、乗客26名)が生存した[1]。予約した前方の座席が禁煙席だったことから、喫煙ができる後方に変更したことで難を逃れた乗客もいた。
この事故で、IBM PCの開発を指揮したドン・エストリッジも妻と共に犠牲になっている[2]。
事故の経過
事故当日の191便
急降下
着陸のため降下中、機長は進路前方に嵐を確認し管制官に進路の変更を要請した。一度は嵐を回避したものの再び発生していた嵐に突入してしまう。
着陸進入中、突然機体が急降下し始めた。パイロットはエンジンを全開にし、しばらくして急降下はおさまったものの、さらにしばらくして右に傾きながら再び急降下し始めた。
墜落直前、機長は着陸復航を指示したが急激に降下している中では不可能であった。
墜落
墜落直前、副操縦士は機体を水平に戻すものの地上からわずか数メートルしかなく、空き地に接地した後に高速道路に突っ込んだ。その際、右エンジンが走行していた乗用車を直撃し、運転手は即死した。その後機体はわずかに上昇したものの、再び空き地に接地した。コントロールを失った機体は空港敷地内にあった貯水タンクに激突し、垂直尾翼を含む機体後部を残して大破、炎上した。
原因
雷雲から雲が地上に向かって落ちてくる、マイクロバースト現象により発生した追い風と下降気流で機体が急降下し、一度は体勢を立て直したが、再び追い風に遭遇したことで機体が失速し、墜落した。原因となった雷雲は事故前より発生していたが(この時期のダラス空港は雷雨が頻繁に生じていた)、191便の直前に着陸進入中であったリアジェットが通常通り着陸していたことや、当時空港にマイクロバーストを検知するドップラー気象レーダーが設置されていなかったことから、事故直前まで管制官・パイロット共に予測できなかった。
この事故を契機にダウンバーストを観測できるドップラー気象レーダーの空港への設置が急がれ、また機体の気象レーダーも強化が図られた。
この事故を扱った番組
脚注
- ^ この事故の10日後に発生した単独機では史上最悪の航空事故である日本航空123便墜落事故においても、生存者の座席位置は機体後部に集中していた。
- ^ Parziale, Eva (1985年8月4日). “Personal Computer Developer Among Dead In Delta Crash” (英語). AP通信. 2019年9月15日閲覧。
関連項目
外部リンク