ディファ有明 (ディファありあけ)は、東京都 江東区 有明 でかつて営業していたホール 。「日本初の格闘技専用アリーナ 」と銘打ち2000年 にオープン。2018年 6月30日に営業を終了した[ 1] 。
2016年 12月までプロレスリング・ノア が本社と道場、合宿所を置いていた。
バブル期 に存在したライブハウス ・ディスコ のMZA有明 (エムザありあけ)は改装前の同一の建物である。MZA有明についてもこの項目で述べる。
MZA有明
不動産企業のエムザグループが、倉庫となっていた建物を安く借り受け、空間プロデューサー の山本コテツ と角章がデザイン・プランニング、建築制作工房が設計を手がけて改装し、複合イベント施設「MZA有明」として1988年 7月21日 にオープンした。後にディファ有明のホールとなった建物は、MZA時代はイベントホールとレストランが入居していたもので、もう一方の事務所棟はかつてディスコ棟だったものであり、ディファ開業以降も事務所棟の天井裏には、ミラーボールが入ったままになっていた。
ライブハウス・イベントホールの「サウンドコロシアムMZA 」、ディスコの「クラブ・ガティル 」のほか、レストラン「サラサ」、カフェ「ヒドラ」、貸しスタジオ「スタジオMZA」なども併設していた。
東京臨海副都心 の再開発が始まる10年近く前であったため、有明地区はまだ倉庫街であり、路線バス(「エムザ有明前」のバス停が存在した)や、MZAが独自運行する六本木 ・豊洲駅 発着のシャトルバスを利用する以外は交通手段が無く、主に利用客はタクシーやマイカーで来場していた。
1980年代 後半はディスコブーム、さらにバブル 真っ只中だった時代で、都心の家賃が高騰したため、湾岸線などに存在した倉庫や工場跡を借り、内部を改装してディスコやライブハウスとしてオープンするというウォーターフロントブーム の先駆けとなった。
M.C.ハマー を始めとして多くの外国人タレント がライブを行い、1990年3月には24年ぶりに来日したポール・マッカートニー がMZAで記者会見を行い、さらに異例のライブパフォーマンスを行った。しかし1991年 、バブル経済期における投機失敗によりエムザグループが経営不振となり、営業を終了した。
MZA閉店後は、月島倉庫がサウンドコロシアム棟を1999年 まで借り受けて物流拠点としていたが、月島倉庫が契約満了で退いた後、そのままになっていた建物を改装し、新装オープンしたのがディファ有明である。
ディファ有明
概要
ディファ有明正面玄関上のロゴ
ディファ有明(2018年)
後楽園ホール に一点集中していた首都圏の格闘技アリーナを分散させることを目的に、後楽園ホールのキャパシティと同規模のホールとしてディファ有明が造られ、2000年7月1日に全日本プロレス の興行「2000サマーアクションシリーズ」の開幕戦でグランドオープンした。
名前の「ディファ」は、英語のDiffer(違う、異なるという意味の動詞)に由来する。これまで出来なかったことにも挑戦し、違いを明確化したいという意思を込めて名付けられた。
主な特徴は常設の花道、数の多い女子トイレ、イベント規模により自由自在に変えられるキャパシティ等であった。公式では最少キャパシティの格闘技Bタイプ(ホールの半分を使用)で713席、フルサイズのライブ・イベントタイプで1,823名としており、キャパシティの幅が広く、多くのイベントに使用された。
会場内北側にはステージが設置されており、コンサートやライブでも使用することができる。プロレス・格闘技ではこのステージにも椅子を設置し、客席としていたがひな壇の傾斜が緩いため見づらいことが以前から指摘されていた。そのため、2007年 8月には新たに高さ3m・全12段のステージを使用するイベントが入った場合は、収納することができる電動ひな壇を設置した。
2016年12月19日に土地所有権者との建物定期賃貸借契約 更新が出来ないため、2018年 6月末日を以て営業を終了することが発表された[ 2] 。
6月30日、DEEPによる「カーエイドpresents DEEP 84 IMPACT~DIFFER ARIAKE FINAL DAY~」を最後に18年の歴史に幕を閉じた。
奇しくも最後のプロレスでの興業は、こけら落としを行った全日本プロレスにより2018年6月5日に「2018スーパーパワーシリーズ」の最終戦という形で行われた。
その後、建物は解体され現存しない。
格闘技関係
プロレスリング・ノア
全日本プロレスでのグランドオープンが当初から決定していたことから、ディファの基本設計に、グランドオープン直前に全日本を退社しノア設立に参画した仲田龍 が関与していたこともあり、ノアは2000年6月にディファで発足記者会見を行い、ディファに本社を構えた。
同年8月の旗揚げ戦を始め、ディファを主要会場として使用した。旧MZA有明のディスコ棟3階貸しスタジオはノアの道場に改装され、サウンドコロシアム棟にはノアの事務所や合宿所が設置されるなど、ノアはディファを全ての拠点としたことから、ディファはプロレス界ではNOAHの聖地 とも呼ばれた。
2009年 7月4日 、6月13日 に試合中の負傷により急逝したノア初代社長・三沢光晴 の献花式「三沢光晴お別れ会 〜DEPARTURE〜」が執り行われ、関係者やファンなど約26,000人が参列した。
ディファの2018年の営業終了に先立ち、ノアは2016年いっぱいで事務所・道場・合宿所を撤退し、本社を千代田区 水道橋 に、合宿所を埼玉県 に移転した[ 3] 。
最後のプロレス興業となった上記の全日本プロレス開催には、ノア立ち上げメンバーであり当時全日本プロレスに戻っていた秋山準 (社長)、大森隆男 が出場し、さらにフリーの中には同じくノア立ち上げメンバーの本田多聞 、ノア生え抜き選手第一号の鈴木鼓太郎 (全日本プロレスにもノア退団後2015年まで所属していた)も参戦している。
総合格闘技・ボクシング興行
その他、数多くのプロレス 団体、キックボクシング 、パンクラス やZST など総合格闘技 の興行が行われた。このうち、キックボクシングの「ビッグバン〜統一への道〜 」は年4回定期開催し、格闘技団体の中で最も自主興行で利用する比率が高かった。また、総合格闘技のDEEP では、ディファに於いて初のケージマッチ「DEEP CAGE IMPACT 2009 」を開催した。
一方、国際式ボクシング の興行に使用されるケースは少なく、後楽園ホールに一点集中していた。2008年5月19日にディファ初のボクシング世界戦、小堀佑介 (角海老 )vsWBA 世界ライト級 王者・ホセ・アルファロ が行われ、小堀が王座を奪取している。
2009年5月26日にはディファで、宮田 主催の史上唯一のJBC管轄下のワンマッチ興行として、WBC 世界フライ級 タイトルマッチ、チャンピオン内藤大助vs 熊朝忠 戦が行われた。ディファ閉鎖半年前である2018年1月1日に、協栄 主催興行(神田桃子 移籍第一戦や亀田京之介 デビュー戦)が行われており、閉鎖10日前の6月20日には、DANGAN 主催興行としてOPBF スーパーフェザー級タイトルマッチが開催されており、三代大訓vs カルロ・マガリ の一戦が行われている。
その他の利用
その他、ディファ有明として格闘技式のリング を保有していることから、メンズプラザアオキ やPCAアセット 等の企業が、リングを使ったCM撮影を行った。
跡地の利用
土地所有者である東武鉄道 は、ディファ有明跡地の区画名を「東武有明フィールド 」(とうぶありあけフィールド)として、2020年より供用を開始している。当初は2020年春に開業予定としていたが[ 4] 、新型コロナウィルス感染症拡大の影響で同年夏まで延期になった。第1弾として、2020年7月よりポルシェジャパン がポップアップストア 「Porsche NOW Tokyo」を開設している。なお開設期間は2021年8月末まで[ 5] 。
交通
鉄道
バス - 都営バス 有明二丁目・有明コロシアム前バス停から徒歩数分 - 有明コロシアム前は、東京駅・門前仲町方面行きのみ停車
自動車
周辺施設
有明コロシアム - 道路(都橋通り(台場有明北連絡道路))1つ隔てた場所にある。
脚注
外部リンク