ディス・モータル・コイル
ディス・モータル・コイル[注 1](This Mortal Coil)は、イギリスのレコード・レーベル4ADの創設者であるアイヴォ・ワッツ=ラッセルが率いるイギリスの音楽集団[4]。正式メンバーはワッツ=ラッセルとジョン・フライヤーの2人だけだったが、バンドのレコーディング作品には、コクトー・ツインズ、ピクシーズ、デッド・カン・ダンスのメンバーなど、4ADと関係があったアーティストの多くがローテーションするサポート・アーティストをフィーチャーしていた[5]。このプロジェクトはゴシックかつドリーム・ポップ・サウンドで知られるようになり、1984年の『イット・ウィル・エンド・イン・ティアーズ』を皮切りに3枚のフル・アルバムをリリースした[6]。 背景アイヴォ・ワッツ=ラッセルは、1980年に4ADを設立。このレーベルはイギリスのポストパンク運動における重要なレーベルの1つとしての地位を確立していった。いくつかのリリースの後、ワッツ=ラッセルは「ディス・モータル・コイル」という名前でコラボレーションするというアイデアを発展させた[7]。この名前は、スピリットの曲「Dream Within A Dream」の歌詞(「...Stepping off this mortal coil will be my pleasure... (…この死を免れぬ運命の輪から降りることが私の喜びです…)」)から取られており[8]、これはシェイクスピアの『ハムレット』からの引用(「... what dreams may come, when we have shuffled off this mortal coil... (…私たちがこの死を免れぬ運命の輪をシャッフルしたとき、夢が訪れるかもしれません…)」)となっている。 4ADのウェブサイトには、次のように書かれていた。
レーベルの最初に契約したバンドの1つは、モダン・イングリッシュであった。1983年、ワッツ=ラッセルはバンドに初期の2曲「Sixteen Days」と「Gathering Dust」をメドレーとして再録音することを提案した。当時、バンドはこのメドレーでライブを締めくくっており、ワッツ=ラッセルはこのメドレーは再録音するに足るほど強力であると感じていた。バンドがこのアイデアを拒否したとき、ワッツ=ラッセルはメドレーを録音するためにミュージシャンのグループ(コクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーとロビン・ガスリー。シンディトークのシンディ・シャープ。そしてモダン・イングリッシュのメンバーも数名)を集めることに決めた[7]。EP『Sixteen Days/Gathering Dust』は、これらのセッションから生まれた。フレイザーとガスリーだけで演奏したティム・バックリーの「Song to the Siren」のカバーが、EPのB面として録音された。結果に満足したワッツ=ラッセルは、これをEPの7インチ・シングル・バージョンのA面とすることを決定。この曲はすぐにアンダーグラウンドでヒットとなり、これにより、ワッツ=ラッセルはディス・モータル・コイルという名前でフル・アルバム『イット・ウィル・エンド・イン・ティアーズ』のレコーディングを進めることになった[7]。 1998年6月、ワッツ=ラッセルはディス・モータル・コイル・プロジェクトと同様の手法で、ザ・ホープ・ブリスター名義によるアルバムのリリースを開始した[9]。 ディスコグラフィスタジオ・アルバム
コンピレーション・アルバム
ボックスセット
EP
シングル
脚注注釈
出典
外部リンクInformation related to ディス・モータル・コイル |