テミヤン (Temiyan、1957年 2月3日 - )は、日本 のフォークシンガー 、シンガーソングライター 、野草 研究家[ 1] 。本名:宮手健雄 (みやて たけお)。アップフロントワークス 所属。自称「浜辺のフォークシンガー 」[ 2] [ 3] 。テミヤンの名付け親はブレッド&バターの岩沢二弓。本名の「みやて」を並べ替えて「てみやん → Temiyan」になった。
神奈川県 平塚市 出身[ 3] 。湘南学園高等学校 卒、和光大学 表現学部 芸術学科中退。学生時代に神奈川県茅ヶ崎市 に移り住み、2018年に葉山に移住した[ 1] 。湘南ビーチFM の開局から10年にわたり、ラジオパーソナリティ を務めた[ 1] 。
来歴
中学から音楽に目覚めエレクトリック・ギター を手にしていたが、岡林信康 に強烈な影響を受け、エレキをアコースティック・ギター に持ち替え、フォークソング に傾倒する。日本画を学ぶべく和光大学 表現学部 芸術学科に進むも、中退。その後は主に都内で音楽ライブ活動を行っていた。
1976年、地元茅ヶ崎の「Cafeブレッド&バター」でコックとしてアルバイトを始めブレッド&バター に出会い、ライブにより多くのミュージシャンと交流を深める。
1984年、ブレッド&バターの岩沢二弓 プロデュースによるアルバム「ZaZaZa」でデビュー[ 3] 。その後、髙橋真梨子 、アグネス・チャン 、中村あゆみ 、浅香唯 他に楽曲提供。
バンド「ラチエン・ボーイ・クラブ」のメンバーとしての活動を経て、ソロ活動を再開。財津和夫 のコンサートツアーにもコーラスで参加。
ミュージシャンとしては「湘南サウンド 」とハワイアンメロディーを融合した独自のサウンドを創り出し、自ら「浜辺のフォークシンガー 」と名乗り[ 4] 、主に神奈川のテレビ、ラジオ、雑誌などのメディアに登場している。
人物
テレビ神奈川 に出演していた縁で知り合った山口智充 と家族交流する仲である。
海草や野草に詳しく、湘南、三浦半島 の海や山に足繁く通い、「海菜」という言葉を生む。また湘南・三浦の魚、野菜などを中心とした独特の食文化にも詳しい。
料理の腕前はプロ級。テレビや雑誌で多くの独自レシピを披露している。
2006年よりおもちゃコレクターの北原照久 と、横浜人形の家 ・あかいくつ劇場で「貿易風 Temiyan Night」というライブを月1回行っている。北原の紹介を縁に文化放送 「竹内靖夫の電リク・ハローパーティー 」に出演するようになった。その後、テミヤン独特の曲の世界観に竹内も酔いしれることになる。
2007年に「Cafeブレッド&バター」での出来事をモチーフにした「サンシャイン デイズ 」がテレビ神奈川を中心にしてドラマ化されたが、企画・原案に加わっており、本人役も登場する。2008年に映画化された。
2008年度の「竹内靖夫の電リク・ハローパーティー」で、リスナーから寄せられた「人生を幸せに過ごすために」をキーワードにしたメールを元に、テミヤンがエンディングテーマを制作するという企画が行われた。この企画は「1230アッと!!ハマランチョ 」も巻き込んでおり、視聴者、リスナーからの反響も大きく、毎週テーマ曲を作詞・作曲するまでになった。2009年3月18日に『Happy Life Story』としてアルバム化、ジャケットには視聴者、リスナーから寄せられた「笑顔」の写真で埋め尽くされた。
ディスコグラフィ
アルバム
VA
『アロハの贈りもの』 「上を向いて歩こう 」をカバー。
『江戸屋百歌撰 1994/INU』 幸せは青いビンの中/Bali Moon 2曲収録。
シングル
VA
Hiroshima '91 Peace Birds All-Starsのメンバーとして、Hiroshima '91 テーマソング「ひとつの夢」をシングルでリリース。
楽曲提供
主な出演番組
テレビ
ラジオ
映画
ヨコハマ物語 (2013年11月16日) - ライブハウス店長 役
ビデオ
「Pacific Heaven」(限定発売)
「Pacific Heaven 2000」(限定発売)
雑誌、出版等
『山菜+海菜のフィールドノート』(雄鶏社 )
季刊『湘南STYLE』「ワイルド食卓図鑑」連載(枻出版社 )
『湘南ワイルド食卓図鑑』(BABジャパン出版局)
脚注
出典
外部リンク