デニショーンとして活動が続いた17年間の、ショーンの主要な振付作品には、Invocation to the Thunderbird(1917年)、チャールズ・ワイドマン(英語版)のソロ Danse Americaine(1923年)、マーサ・グレアムによる Julnar of the Sea、Xochitl(1920年)、Les Mysteres Dionysiaques などがある[3]。ワイドマンやグレアムは以後活躍するが、他にドリス・ハンフリーもデニショーン学校の生徒であった。
この男性のみの舞踊団は、ショーンが故郷のマサチューセッツ州リーの近くに購入した農場を拠点とした。1933年7月14日、「テッド・ショーンとその男性ダンサーたち(Ted Shawn and His Men Dancers)」はショーンの農場で旗揚げ公演を行った。この場所が後に、ジェイコブズ・ピロー・ダンス・フェスティヴァル(Jacob's Pillow Dance Festival)として知られるようになる。ショーンは、Ponca Indian Dance(ポンカ・インディアンのダンス)、Sinhalse Devil Dance(シンハラ族の鬼の舞踊)、Maori War Haka(マオリ族の戦闘舞踊ハカ)、Hopi Indian Eagle Dance(ホピ・インディアンの鷲のダンス)、Dyak Spear Dances(ダヤク族の槍のダンス)、Kinetic Molpai(動きによるモルパイ)といった、革新的で論議を呼ぶ振付作品を舞踊団とともに制作した。これらの創作でショーンは運動性の高い男性的な身体表現を示し、すぐに人気を集めた。舞踊団はアメリカとカナダで公演を行い、750以上の都市をまわった。ロンドンとハバナでも成功を収めている。テッド・ショーン・アンド・ヒズ・メン・ダンサーズは、1940年8月31日、本拠地のジェイコブズ・ピローでの公演でその活動を締め括った。
1954年 – Every Little Movement: a Book About Francois Delsarte
1959年 – Thirty-three Years of American Dance
1960年 – One Thousand and One Night Stands (自伝、グレイ・プールとの共著)
遺産
1940年代、ショーンは自身の作品をニューヨーク近代美術館に寄贈した。その後、ショーンの存命中に美術館はこれらの作品を手放し、ニューヨーク公立舞台芸術図書館(英語版)とジェイコブズ・ピロー・アーカイヴに寄贈した。ダンサーのアダム・ワイナートはこれを、存命中のアーティストの作品を手放さないというニューヨーク近代美術館のポリシーに反するとして、ショーン作品のデジタル拡張現実上演作品The Reaccession of Ted Shawnを制作し、ニューヨーク近代美術館で展示した[10][11]。
Benbow-Niemer, Glynis (1998). “Shawn, Ted”. In Benbow-Pfalzgraf, Taryn. International Dictionary of Modern Dance. Detroit: St. James Press
Foulkes, Julia L. (2002). Modern Bodies: Dance and American Modernism From Martha Graham to Alvin Ailey. Chapel Hill, NC: The University of North Carolina Press
Schlundt, Christena L. (1998). “Shawn, Ted”. In Cohen, Selma J.. International Encyclopedia of Dance. 5. New York: Oxford University Press