チープ・トリック (英 : Cheap Trick )は、1974年 にシカゴ 郊外にあるイリノイ州 ロックフォード市 で結成されたアメリカ のロックバンド [ 1] [ 4] 。メンバーは、ロビン・ザンダー 、リック・ニールセン (英語版 ) 、トム・ピーターソン (英語版 ) 、バン・E・カルロス (英語版 ) の4人[ 注釈 1] [ 5] 。
1977年にオリジナル・アルバム『チープ・トリック 』でデビューし、同年後半に発売された2ndアルバム『蒼ざめたハイウェイ 』で日本での成功を収めた。1979年に発売されたライブ・アルバム『チープ・トリックat武道館 』はヒット作となり、同作からシングル・カットされた「甘い罠 (Live) 」もBillboard Hot 100 でトップ10入りし、1988年に発売されたシングル『永遠の愛の炎 (英語版 ) 』で第1位を獲得した[ 6] 。
2016年3月時点で3700回以上のライブを行なっていて[ 7] 、世界でのアルバムの売上枚数は2000万枚(2013年12月時点)を超えている[ 8] 。
2016年にロックの殿堂 入りを果たした。
来歴
リック・ニールセン(左)とトム・ピーターソン(1977年 )
リック・ニールセンとトム・ピーターソンは、Fuseというバンドのメンバーとして1969年 にメジャー・デビューするが、商業的成功には恵まれず、一時はフィラデルフィア に拠点を移す。その後、リックとトムはイリノイ州 に戻り、バン・E・カルロスやランディ・ホーガンと共にチープ・トリックを結成。しかし、ランディは間もなく脱退し、後任としてロビン・ザンダーが加入してラインナップが固まる。
1977年 、デビュー・アルバム『チープ・トリック 』発表。しかし、本国アメリカでは成功せず、その後2枚のアルバムもヒットしなかったが、日本では人気が高まっていき、1978年 4月には、初の日本公演を行う。その時の模様を収録したライヴ・アルバム『チープ・トリックat武道館 』(1978年)は、当初は日本限定企画だったが、本国アメリカで日本からの輸入盤が売れ出したため、1979年 に本国でもリリースされ、バンドにとって初の全米トップ10入り(最高4位)を果たした。また、このアルバムからシングル・カットされた「甘い罠 (I Want You To Want Me) 」は、Billboard Hot 100 で7位まで上昇し、バンドにとって初の大ヒット・シングルとなった[ 9] 。
1980年 、ロビン以外の3人は、ジョン・レノン 「アイム・ルージング・ユー」のレコーディング・セッションに参加[ 10] 。チープ・トリックが参加したヴァージョンは、ジョンのアルバム『ダブル・ファンタジー 』には収録されず、後にボックス・セット『ジョン・レノン・アンソロジー 』で発表される[ 11] 。同年発表のアルバム『オール・シュック・アップ 』は、ビートルズ との仕事で知られるジョージ・マーティン がプロデュースを担当。しかし、同作を最後にトムが脱退。バンドはピート・コミタを迎えてツアーを行い、その後ピートに代わってジョン・ブラントが加入。トッド・ラングレン がプロデュースを担当した『ネクスト・ポジション・プリーズ 』(1983年 )等の意欲作を発表するが、セールス的には落ち込んでいった。1986年 には、映画『トップガン 』のサウンドトラックに「Mighty Wings」を提供。
1987年 、トムがバンドに復帰。翌年には、アルバム『永遠の愛の炎 』が全米16位のヒットとなり、同作からのシングル「The Flame」は、バンドにとって初の全米1位シングルとなった[ 9] 。第2弾シングルのエルヴィス・プレスリー のカバー「冷たくしないで 」は全米4位。
その後、バンドはワーナー・ブラザース・レコード に移籍し、テッド・テンプルマン のプロデュースによる『蒼い衝動 』(1994年 )を発表するが、同作は商業的には成功せず、バンドはほどなくワーナー・ブラザースを離れる。以後、バンドはライヴ中心の活動に移行し、サブ・ポップ からシングル「Baby Talk」をリリースした後は、Red AntやBig3といったインディーズ・レーベル(日本ではビクターエンタテインメント)から作品発表を継続する。
1999年、結成25周年を記念して銀婚式と意味を掛け「シルヴァー」と題した大規模なコンサートを故郷であるイリノイ州ロックフォード で開催、元メンバーであるジョン・ブラントや同郷のイリノイ州出身であるスマッシング・パンプキンズ のビリー・コーガン の他ガンズ・アンド・ローゼズ のスラッシュ ら多彩なゲストが出演した。
2003年 来日しサマーソニック03に出演。競演していた多くのパワーポップ系若手バンドからリスペクトを集める。
2008年 78年のアルバム「at 武道館」発売30周年を記念し、4月24日に再び日本武道館で公演。
2009年 ラスベガスにて2週間にわたり、ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド 」全曲を演奏するショー、Sgt. Pepper Live を開催。フルオーケストラと競演、ジョーン・オズボーン などがゲスト参加した。
2010年 従来より身体的な問題が伝えられていたバン・E・カルロスについて、バンドは、バン・E がメンバーとして籍は残すもののツアーには参加しないことを発表。以降、リック・ニールセンの息子ダックスがツアードラマーとして迎えられた。(その後2015年にバン・Eはインタビュー[ 12] にて、ツアーからの離脱はスケジュールやセットリストの長さの意見の食い違いに起因する、ロビン・ザンダーとの不仲によるものであったことを明かしている。)
2011年 7月17日、オタワ・ブルースフェスティバル(カナダ)での演奏中、強風のためステージが大崩落する事故が発生。メンバーは怪我を免れ、以降も精力的にツアーを継続する。
2012年 8月より、出身地ロックフォードのBurpee自然史博物館にて、リック・ニールセンのテーマ展「Rick’s Picks: A Lifelong Affair With Guitars & Music」開催。コレクターとしても知られるリックの所有する膨大なギターやトムのベース、様々な関連資料が展示される。
2013年 バン・E・カルロスが、自身がメンバーであるにもかかわらず新作のレコーディングへの参加が認められず、得られるはずの報酬も支払われていないとしてバンドを相手取った訴訟を起こす。残るメンバー3人はバン・Eが既にメンバーではないと主張して対抗訴訟を起こすが裁判所はこれを棄却。同年8月には来日し、10日、11日サマーソニック2013出演。
2015年 バン・E・カルロスが起こした訴訟が結審。2月下旬ロビンから、バン・Eが現在もバンドのメンバーであることを認める一方で、今後ツアーやレコーディングにはバン・Eが参加しない旨がアナウンスされた。同年12月、ディープ・パープル 、シカゴ 等とともに、翌2016年付でのロックの殿堂 (The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)入りが発表される。なお、2016年4月8日に行われた殿堂入りセレモニーにはバン・Eも出席し、6年ぶりの共演を披露している。
2016年 ダックス・ニールセンがレコーディングに参加したニューアルバム「バン・ズーム・クレイジー・ハロー」をBig Machine Label Groupより発表。
メンバー
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
EP
今夜は帰さない - Clock Strikes Ten (1977)
カリフォルニア・マン - California Man (1978)
デイ・トリッパー - Found All The Parts (1980)
ライブ・アルバム
チープ・トリックat武道館 - Cheap Trick at Budokan (1978) 4位 3Xプラチナム(US)
at武道館II - Budokan II(1993)
ミュージック・フォー・ハングオーヴァーズ - Music for Hangovers (1999)
シルヴァー - Silver (2001)
Sessions@AOL EP (2005) ダウンロード販売
Sgt. Peppers Live (2009)
Live at The Whisky 1977 (2022)[ 13]
コンピレーション・アルバム
グレイテスト・ヒッツ - The Greatest Hits (1991)
セックス・アメリカ・チープ・トリック - Sex, America, Cheap Trick (1996)
エッセンシャル・チープ・トリック - The Essential Cheap Trick (2004)
ジャパニーズ・シングル・コレクション-グレイテスト・ヒッツ- - Japanese Singles Collection-Greatest Hits- (2018,日本限定)
日本公演
1978年
1979年
1980年(Japan Jam出演)
1990年
脚注
注釈
^ a b c バン・E・カルロスは、メンバーとしては在籍しているが、2016年以降はレコーディングやライブに参加していない。2010年以降はサポートメンバーであるダックス・ニールセンが、ドラムスを演奏している。
^ a b c d e f 1回限りの参加。
^ ゲスト・ミュージシャンとして参加。
出典
^ a b c Erlewine, Stephen Thomas . “Cheap Trick Biography, Songs, & Albums ”. AllMusic . RhythmOne. 2020年11月18日 閲覧。
^ Popoff, Martin (2014). The Big Book of Hair Metal: The Illustrated Oral History of Heavy Metal's Debauched Decade . Voyageur Press. pp. 145, 190. ISBN 0-7603-4546-5
^ Uhelszki, Jaan (2010年3月15日). “Cheap Trick: 35 Years of Pop-Rock Brio ”. BMI.com . Broadcast Music, Inc. 2023年4月3日 閲覧。
^ “チープ・トリック バイオグラフィー ”. ウドー音楽事務所 . 2022年9月17日 閲覧。
^ Curry, Corina (2016年4月11日). “Cheap Trick: 'New guy' Daxx Nielsen has known bandmates his whole life” . Rockford Register Star (Gannett Co., Inc. ). https://www.rrstar.com/article/20160411/SPECIAL/160419971 2020年11月19日 閲覧。
^ “Billboard Cheap Trick Chart History ”. Billboard . 2020年11月19日 閲覧。
^ “Cheap Trick: 'We don't want to do wimp versions of ourselves'” . USA Today (Gannett Co., Inc.). (2016年3月29日). https://www.usatoday.com/story/life/music/2016/03/29/cheap-trick-rock-hall-induction-bang-zoom-crazy-hello/82360494/ 2020年11月19日 閲覧。
^ “Cheap Trick bucking the trend, touring with 3 original members ”. daily-journal.com (2013年12月20日). 2020年11月18日 閲覧。
^ a b allmusic(((Cheap Trick>Awards)))
^ John Lennon - Wonsaponatime (CD) at Discogs
^ “I'm Losing You by John Lennon ”. Songfacts. 2016年2月2日 閲覧。
^ “Cheap Trick's Bun E. Carlos on Possible Rock Hall Reunion ”. RollingStone. 2015年12月22日 閲覧。
^ “チープ・トリック 45年間お蔵入りだった4CDライヴ盤『Live at The Whisky 1977』発売 半分以上が完全未発表 ”. amass.jp. 2022年11月20日 閲覧。
外部リンク