チャールズ・オースティン・ビアード[注釈 1](英: Charles Austin Beard、1874年11月27日 - 1948年9月1日)は、20世紀前半に活動したアメリカ合衆国の歴史学者、政治学者である。
影響力のあった著書に"An Economic Interpretation of the Constitution of the United States"(1913年、邦題『合衆国憲法の経済的解釈』)、妻のメアリ・ビーアド(英語版)との共著"The Rise of American Civilitation"(邦題『アメリカ文明の興起(興隆)』)がある[3][4]。
1874年、インディアナ州ナイツタウン(英語版)の郊外に生まれる。デポー大学卒業後、渡英しオックスフォード大学に留学生として入学する。その後帰国し、1904年よりコロンビア大学の教授となる。大学では歴史および政治学の講座を受け持った。研究においては、ドイツ史学の客観主義を批判し、革新概念の主観主義を主張する立場をとった。また、同時期に同大学の博士号を取得する機会もあったが、1917年に第一次世界大戦でコロンビア大学の学生が平和主義者を批判するといった政治的自由の問題により同大学を辞職した。
1922年(大正11年)、後藤新平の招聘により来日した。その後一旦帰国し翌1923年(大正12年)に再来日した。東京市市政顧問として雇われ、同年に発生した関東大震災での復興に携わるなど東京の街の再建に貢献した。
アメリカ帰国後は、母国の歴史の保守と革新に関する多くの著書を執筆・刊行した。学界では、1926年にアメリカ政治学会の会長、1933年にはアメリカ歴史学会(英語版)の会長を務めるなど政治学者ならびに歴史学者として著名になった。また当時大統領であったフランクリン・ルーズヴェルトが提唱したニューディール政策を批判するなど、経済や外交関係に関する学術研究も行った。1948年、コネティカット州ニューヘイブンにて死去。
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