チャールズ・フランシス・アダムス(Charles Francis Adams, 1876年10月18日 - 1947年10月2日)は、アメリカ合衆国バーモント州ニューポート出身の実業家。NHLのボストン・ブルーインズ初代オーナーで食料雑貨品チェーンのオーナー。
生い立ち
バーモント州ニューポートに生まれた彼は、一家が貧しかったこともあり、若いときから雑貨店の店員を務めて家系を助けた。ティーンエイジャーの時には、父親の製材所のため、丸太の購入をしたほどであった。バーモント州イーノスバーグにあるジェニービジネスカレッジを卒業した後、バーモント州スプリングフィールドに移り、おじの下で食料品雑貨業に従事した。雑貨業やタバコのセールスマンを経てマサチューセッツ州ケンブリッジに移り、ニューイングランドメイプルシロップ社の会計係になった。その後、フィッツジェラルド・アンド・ハバードカンパニーで銀行業や証券業に従事した。フィッツジェラルド・アンド・ハバードを退職した後は、後に全米最初のチェーンストアとなるジョン・T・コナー・カンパニーで働いた。
アイスホッケー
もともと熱心なホッケーファンであった彼は、ボストンでのアマチュアの試合の観戦からモントリオールまで旅行してプロホッケーの試合を観戦するほどであった。ボストンを含むアマチュアホッケー選手のスキャンダルから大奥のボストンのホッケーファンはアマチュアホッケーに幻滅した。アダムスは、プロチームをアメリカに創設しようと決意し、1924年11月1日、1万5000ドルでブルーインズのフランチャイズを手に入れた。こうしてアメリカ最初のNHLチームが誕生した[1]。
1926年にフランク・パトリック、レスター・パトリックからウェスタン・カナダ・ホッケー・リーグ(英語版)を30万 ドルで買い取った[1]。これにより、エディ・ショア、ハリー・オリバー、デューク・キーツ、フランク・バウチャーがブルーインズに加入した。彼らのためにアダムスは50万ドルをかけてボストン・ガーデンを建設、1928年に完成させた[1]。
1929年にスタンレーカップ初優勝を果たした[1]。1936年に息子のウェストロン・アダムスや、アート・ロスらに経営権を譲った。
野球
1927年5月15日、ボストン・ブレーブスのオーナー権の一部を買収、ブレーブスの副社長に就任した。1935年にエミール・フックスがベーブ・ルースを獲得した後、フックスにチーム経営権を売却するよう迫り、同年7月31日にオーナーとなった[1][2]。同年11月26日、ナショナルリーグは、契約上の義務を履行できなかったブレーブスにチームを売却するよう管理下におき[3]、NFLコミッショナーのケネソー・マウンテン・ランディスは、ボブ・クインを新オーナーとし、アダムスがチームの経営権に関わることを禁じた[4]。
競馬
競馬場のサフォーク・ダウンズ(英語版)のオーナーも務めた[1][5]。
死後
1947年10月2日にボストンで亡くなった[6]。1960年にホッケーの殿堂入りを果たした。また1974年には彼の業績を記念してNHLのプリンスオブウェールズ・カンファレンス内にアダムス・ディビジョンが創設され19シーズン続いた。これは後にノースイースト・ディビジョンとなった。
彼の死後も、息子、孫たちが1975年までブルーインズのオーナーを務めた[1]。
2013年、バーモント州のスポーツ殿堂に選ばれた[1]。
脚注
外部リンク