ダラス美術館 (The Dallas Museum of Art/DMA) はアメリカ合衆国テキサス州ダラスのアート・ディストリクト (the Arts District) にある美術館である。ウッドール・ロジャース・フリーウェイ (Woodall Rodgers Freeway) 沿い、セント・ポール通りとハーウッド通りの間に位置している。1984年まではフェア・パークの中にあったが、同年にアート・ディストリクトに移転した。[2]建築は、アメリカ建築家協会AIAゴールドメダルを2007年に受賞したエドワード・ララビー・バーンズの設計による。[3]
紀元前3000年から現代まで、24,000点以上の芸術品を収蔵している。大胆な展示方針や[4]受賞歴のある教育プログラムでも知られている。[5]付属の図書館であるミルドレッド・R&フレデリック・M・メイヤー図書館 (The Mildred R. and Frederick M. Mayer Library) では、50,000冊以上の本がキュレーターや一般の利用者に公開されている(貸し出しは行っていない)。
歴史
ダラス美術館の歴史は、ダラス美術協会 (Dallas Art Association) が設立された1903年に遡る。同協会はまずダラス公立図書館 (Dallas Public Library) で絵画の展示をはじめた。テキサスの芸術家フランク・レイは、出来たばかりのこの図書館で作品を展示する機会を得ている。[6]この方向性を押し進めたのは、同図書館の最初の館長であるメイ・ディクソン・エクソールだった。彼女は次のような考えを持っていた。「展覧会やレクチャーを通じてアートへの関心と知識を養うこと、恒久的なコレクションを形成すること、地元のアーティストたちの作品にお金を出すこと、アートに対する支援を個人と企業から募ること、アートを支援する市民を称賛すること」。
順調に収蔵品を増やしながら、1932年にはダラス・ミュージアム・オブ・ファイン・アーツ (Dallas Museum of Fine Arts/DMFA) と名前を変更。1936年には、「テキサス100周年展」[7]の開催を機に、フェア・パーク内に新しく建てられたアール・デコ調の建物に移転した。この新しい建物は、フィラデルフィアのポール・クレの助力を仰ぎつつ、ダラスの建築協会によって設計された。今でも同地に現存している。
1963年、DMFAは、ダグラス・マッカーギーが館長を務めていたダラス現代美術館 (Dallas Museum of Contemporary Art) と統合された。[10]1964年、統合された美術館の館長にメリル・C・ルーペルが就任。二つの美術館が持っていた収蔵品がすべてDMFAの建物に集められたため、突如として、ポール・ゴーギャン、オディロン・ルドン、アンリ・マティス、ピエト・モンドリアン、ジェラルド・マーフィー(英語版)、フランシス・ベーコンらによる重要な作品が同地に収蔵されることになった。1965年には「ピエト・モンドリアンのアート」や「彫刻:20世紀」と題された展覧会が開催された。[4]
1970年代後半、収蔵品の拡張と展覧会プログラムの増大に伴って、新しい施設が必要となった。ハリー・パーカーの指揮のもと、DMFAはビジネス・ディストリクト(現在ではアート・ディストリクトとして整備されている)の北端へと移転した。建物は、ニューヨークの建築家、エドワード・ララビー・バーンズによる設計だった。建築費用の5,400万ドルは、市債の発行による資金と個人による寄付で賄われた。「すばらしい都市はすばらしい美術館を持つに値する」というスローガンのもとでプロジェクトは進められ、1984年に竣工した。同年1月29日に新たな美術館として正式にオープンし、名前がダラス美術館 (Dallas Museum of Art/DMA) に変更された。[11]
アメリカ美術コレクションはアメリカの植民地時代から第二次世界大戦、メキシコ、カナダからの絵画、彫刻、紙細工等である。主要な作品はフレデリック・チャイルド・ハッサムの「Duck Island」(1906年)、エドワード・ホッパーの「Lighthouse Hill」(1927年)、アンドリュー・ワイエスの「That Gentleman」(1960年)、ジョージア・オキーフの「Bare Tree Trunks with Snow」(1946年)、ジェラルド・マーフィの「Razor」(1924年)、「Watch」(1925年)などである。最も重要な作品の1つとしてフレデリック・エドウィン・チャーチの「氷山 The Icebergs」(1861年)が挙げられる。 この作品は長年失われたとされてきたが、1979年、ラマー・ハントと妻ノーマから当館に寄贈された。また当館はテキサス美術の最も徹底したコレクションを所蔵する美術館の1つである。影響力のある州内のアーティストで構成されたダラス・ナインの1人で1943年から1964年に館長であったジェリー・バイウォーターズの尽力によるものであった。バイウォーターズ自身の絵画の他、ロバート・ジェンキンス・オンダードンク、ジュリアン・オンダードンク、アレキサンダー・ホーグ、クララ・マクドナルド・ウィリアムソン、デイヴィッド・ベイツ、ドロシー・オースティン、マイケル・オウエン、オリン・ハーマン・トラヴィスの作品を収蔵している。
古代地中海美術
キクラデス諸島、エジプト、ギリシャ、ローマ、エトルリア、プッリャ州の古代地中海美術のコレクションを所蔵している。主要な古代エジプト美術は紀元前2575年-2134年、石灰石に描かれた「Relief of a Procession of Offering Bearers from the Tomb of Ny-Ank-Nesut」である。より豊富なギリシア美術のコレクションには紀元前300年の大理石の「Figure of a man from a funerary relief」の他、銅像、装飾品、金の宝飾品などがある。ローマ美術の作品は2世紀の「Figure of a woman」の他、西暦190年頃の戦闘シーンが彫刻されたサルコファガスなどである。
西洋美術のコレクションは16世紀にさかのぼる。初期の作品にはジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(「Ecce Homo」 1615年–1618年)、ピエトロ・パオリーニ(「Bacchic Concert」1630年)、ニコラ・ミニャール(「The Shepherd Faustulus Bringing Romulus and Remus to His Wife」1654年)などの絵画がある。18世紀の作品はカナレット(「A View from the Fondamenta Nuova」1772年)、ジャン=バティスト=マリー・ピエール(「The Abduction of Europa」1750年)、クロード・ジョセフ・ヴェルネ(「Mountain Landscape with Approaching Storm」1775年)、ギヨーム・ギヨン=ルティエール(「Erminia and the Sheperds」1795年)などによるものである。
マイケル・L・ローゼンバーグ・コレクションの借用により、当館の18世紀フランス美術をより深めることとなった[22]。19世紀から20世紀初頭のフランス美術のコレクションも傑出している。中でも彫刻家オーギュスタン・プレオーによる「Silence」、ギュスターヴ・クールベによる「Fox in the Snow」(1860年)、クロード・モネによる「The Seine at Lavacourt」(1880年)、ポール・ゴーギャンによる「I Raro te Oviri」(1891年)、エドゥアール・ヴュイヤールによる「Interior」(1902年)、「Les Marroniers ou le Vitrail」(1894年)、ジャン・メッツァンジェによる「The Harbor (Le Port)」(1912年)が傑作である[23]。
デンマークのヨハン・クリスチャン・ダールによる「Fredericksborg by Moonlight」、ベルギーのレオン・フレデリックによる「Abundance」、ドイツのハンス・トーマによる「Italian Landscape」、スイスのフェルディナント・ホドラーによる「The Halberdier」などの19世紀から20世紀のコレクションは拡大しており、この時代のより広範囲のアートシーンを見ることができる。20世紀初頭以降の彫刻コレクションにはナウム・ガボによる「Constructed Head n°2」、アルベルト・ジャコメッティによる「Three men Walking」、ベン・ニコルソンによる「White Relief」、コンスタンティン・ブランクーシによる「Beginning of the World」などがある。ピート・モンドリアンによる作品のコレクションは「The Windmill」(1908年)、「Self-Portrait」(1942年)、「Place de la Concorde」(1938年–1943年)など特筆すべきものである[24]。