セバスティアーノ・セルリオ(Sebastiano Serlio、1475年9月6日 - 1554年ごろ)はイタリアのマニエリスムの建築家で、フォンテーヌブロー宮殿の建設にも関わった。有名な著書 "I sette libri dell'architettura"(別名 "Tutte l'opere d'architettura et prospettiva"(建築五書))[1]において、建築の「オーダー」を定着させることに貢献した。
セルリオの著書は1539年、ピーテル・クック・ファン・アールストがオランダ語に翻訳した。その弟子でオランダ人建築家のハンス・フレーデマン・デ・フリースがその様式や装飾をアルプス山脈の北に広めた。さらに1552年にはスペインのトレドで Juan de Ayala が原著と同じイラスト付きの本を出版した。セルリオの描いた多数のローマ建築の平面図と立面図は古典建築の有益なレパートリーを提供し、増刷もされた。
オランダ語版から英語への翻訳は The Five Books of Architecture と題して1611年にロンドンで出版された。その例は、ジェームズ1世時代の建築に重要な着想の源泉となったアントワープ・マニエリスム (en) の版画の影響を打ち消した。セルリオの著書は、後のクリストファー・レンやバースの都市計画を立案した起業家のジョン・ウッドらも所持していた。