しかし、不信のため、特に反逆者への恩赦に関する不信によって、交渉は決裂した。そして、数名の嫌われ者の士官を陸上に送り返すという事件があちこちで発生した。この状況が一旦落ち着いたあと、ハウ提督が交渉の仲介に乗り出し、すべての乗組員の恩赦と嫌われ者の士官の数名の配置替え、それに「パーサーズ・ポンド」の廃止と昇給を約束した。後にこの反乱は「スピットヘッドの微風(Breeze at Spithead)」とあだ名された。
スピットヘッドでの同僚の影響を受けて、5月12日、テムズ河口の停泊地ノアでも軍艦「サンドウィッチ」の乗組員による反乱が発生した。同じ場所に停泊していた数隻もそれに同調したが、他の艦はそれに加わらず、反乱をおこした艦の砲撃を避けて外海に出てそこにとどまった(反乱艦は離脱を防ぐために実力を行使しようとしていた)。ノアにいた各艦はスピットヘッドと異なり、部隊として統一されたものではなかったため、組織化は困難だったが、反乱側は素早くリチャード・パーカー(海軍士官の経験を持つフランスの同調者)を「艦隊の代表者総帥(President of the Delegates of the Fleet)」として選び出した。要求は5月20日、8項目に列挙されてバックナー提督に示された。それは、恩赦と昇給のみならず、戦争政策の見直しや、さらには議会の解散、速やかなフランスとの講和まで含んでいた。これらの要求は海軍本部を激怒させた。海軍本部は速やかな任務への復帰の見返りとして、すでにスピットヘッドでなされている譲歩以外の何物も与えるつもりはなかった。