ストレンジ男爵
ストレンジ男爵 (Baron Strange)は、イングランド貴族 の男爵 位。過去に5回創設されており、いずれも議会招集令状(Writs of summons)による爵位であり、男子がない場合に姉妹間に優劣のない女系継承が行われる。
エレズミアのストレンジ男爵 第1期 (1295年)
ヨークシャー のシェリフ やトレント南部の巡回裁判官 (英語版 ) を務めたロジャー・ル・ストレンジは、1295年6月24日にエレズミアのストレンジ男爵(Baron Strange of Ellesmere) として議会招集を受けた。しかし子供がなく彼一代で廃絶した[ 1] 。
初代ストレンジ男爵ロジャー・ル・ストレンジ (?-1311)
ノッキンのストレンジ男爵 第2期 (1299年)
上記ロジャーの甥にあたり、エドワード1世 のウェールズやスコットランド征服戦争に従軍したジョン・ル・ストレンジが1299年 9月26日 にノッキンのストレンジ男爵(Baron Strange of Knockin) として議会招集されたのに始まる[ 2] 。女系継承でストレンジ家からダービー伯爵 スタンリー家、セント・デイヴィッズ子爵 フィリップス家へと移り、現在に至っている[ 3] 。1921年 に継承者が確定するまで、321年の長きにわたって停止 状態にあった[ 4] 。
ノッキンのストレンジ家の紋章: Gules, two lions passant argent
初代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ (John le Strange, 1254頃–1309)
2代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ (John le Strange, 1282頃–1311)
3代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ (John le Strange, 1297頃–1323)
4代ストレンジ男爵ロジャー・ル・ストレンジ (Roger le Strange, 1301–1349) 2代男爵の息子
5代ストレンジ男爵ロジャー・ル・ストレンジ (Roger le Strange, 1327頃–1382) [ 5]
6代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ (John le Strange, 1350頃–1397)
7代ストレンジ男爵リチャード・ル・ストレンジ (Richard le Strange, 1381–1449)
8代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ (英語版 ) (John le Strange, 1440頃–1477)
9代ストレンジ女男爵ジョアン・ル・ストレンジ (英語版 ) (Joan le Strange, 1460頃–1514)
スタンリー家紋章: Argent, on a bend azure three buck's heads cabossed or
ブラックミアのストレンジ男爵 第3期 (1309年)
第1期ストレンジ男爵ロジャーの甥、また第2期のノッキンの初代ストレンジ男爵ジョンの従兄弟にあたるファルク・ル・ストレンジ (英語版 ) が1309年 3月4日 にブラックミアのストレンジ男爵(Baron Strange of Blackmere) として議会招集されたのに始まる[ 6] [ 7] 。女系継承によりストレンジ家からシュルーズベリー伯爵 タルボット家、ノーフォーク公爵 ハワード家 へと移ったが、1777年に9代ノーフォーク公エドワード・ハワード が死去して以降現在まで保持者不在 となっている[ 7] 。
ブラックミアのストレンジ男爵の紋章: Argent two lions passant in pale gules
初代ストレンジ男爵ファルク・ル・ストレンジ (英語版 ) (Fulk le Strange, 1267–1324)
2代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ (John le Strange, 1305–1349)
3代ストレンジ男爵ファルク・ル・ストレンジ (Fulk le Strange, 1320–1349)
4代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ (John le Strange, 1332–1361)
5代ストレンジ男爵ジョン・ル・ストレンジ (John le Strange, 1353–1375)
6代ストレンジ女男爵エリザベス・モーブレー (Elizabeth Mowbray, 1373–1383)
7代ストレンジ女男爵アンカレット・タルボット (Ankaret Talbot, 1361–1413) 4代男爵の娘
5代タルボット男爵/8代ストレンジ男爵ギルバート・タルボット (英語版 ) (Gilbert Talbot, 1383–1419)
6代タルボット女男爵/9代ストレンジ女男爵アンカレット・タルボット (Ankaret Talbot, 1416–1421)
初代シュルーズベリー伯/7代タルボット男爵/10代ストレンジ男爵ジョン・タルボット (John Talbot, 1390–1453) 7代ストレンジ女男爵の次男 初代シュルーズベリー伯爵の紋章
2代シュルーズベリー伯/8代タルボット男爵/11代ストレンジ男爵ジョン・タルボット (John Talbot, 1413–1460)
3代シュルーズベリー伯/9代タルボット男爵/12代ストレンジ男爵ジョン・タルボット (英語版 ) (John Talbot, 3rd Earl of Shrewsbury, 1448–1473)
4代シュルーズベリー伯/10代タルボット男爵/13代ストレンジ男爵ジョージ・タルボット (英語版 ) (George Talbot, 1468–1538)
5代シュルーズベリー伯/11代タルボット男爵/14代ストレンジ男爵フランシス・タルボット (英語版 ) (Francis Talbot, 1500–1560)
6代シュルーズベリー伯/12代タルボット男爵/15代ストレンジ男爵ジョージ・タルボット (George Talbot, 1522–1590)
7代シュルーズベリー伯/13代タルボット男爵/16代ストレンジ男爵ギルバート・タルボット (英語版 ) (Gilbert Talbot, 1552–1616) 1616年に保持者不在
14代タルボット女男爵/17代ストレンジ女男爵アリシア・ハワード (英語版 ) (Alethea Howard, 1585–1654) 1651年に保持者不在解除
5代ノーフォーク公/18代ストレンジ男爵トマス・ハワード (Thomas Howard, 1627–1677)
6代ノーフォーク公/19代ストレンジ男爵ヘンリー・ハワード (Henry Howard, 1628–1684)
7代ノーフォーク公/20代ストレンジ男爵ヘンリー・ハワード Henry Howard, 1655–1701)
8代ノーフォーク公/21代ストレンジ男爵トマス・ハワード (Thomas Howard, 1683–1732)
9代ノーフォーク公/22代ストレンジ男爵エドワード・ハワード (Edward Howard, 1686–1777)
ストレンジ男爵 第4期 (1326年)
ノッキンのストレンジ男爵のヤンガーサンであるユーバラスは、1326年12月3日にストレンジ男爵として議会召集されたが、子供はなく、彼一代で終わった[ 8] 。
ストレンジ男爵 第5期 (1628年)
1628年 3月7日 に上記のノッキンのストレンジ男爵(1299年)をダービー伯爵家がまだ保持していると議会が勘違いしたことによりダービー伯爵の法定推定相続人 だったジェームズ・スタンリー がストレンジ男爵として議会召集されてしまい、これが新規創設のストレンジ男爵とみなされている(錯誤により創設された男爵 )。女系継承によりダービー伯爵スタンリー家からアソル公爵マレー家、さらにドラモンド家へと移り、現在に至っている[ 9] 。
7代ダービー伯/初代ストレンジ男爵ジェームズ・スタンリー (James Stanley, 1607–1651)
8代ダービー伯/2代ストレンジ男爵チャールズ・スタンリー (英語版 ) (Charles Stanley, 1628–1672)
9代ダービー伯/3代ストレンジ男爵ウィリアム・リチャード・ジョージ・スタンリー (William Richard George Stanley, 1655–1702) 死後に保持者不在 (abeyant)
4代ストレンジ女男爵ヘンリエッタ・スタンリー (?-1718) 1714年に保持者不在解除
5代ストレンジ女男爵ヘンリエッタ・アシュバーナム (Henrietta Ashburnham, ?-1732)
10代ダービー伯/6代ストレンジ男爵ジェームズ・スタンリー (James Stanley, 1664–1736)
2代アソル公/7代ストレンジ男爵ジェームズ・マレー (James Murray, 1690–1764)
8代ストレンジ女男爵シャーロット・マレー (英語版 ) (Charlotte Murray, 1731頃–1805)
4代アソル公/9代ストレンジ男爵ジョン・マレー (John Murray, 1755–1830)
5代アソル公/10代ストレンジ男爵ジョン・マレー (John Murray, 1778–1846)
6代アソル公/11代ストレンジ男爵ジョージ・オーガスタス・フレデリック・ジョン・マレー (George Augustus Frederick John Murray, 1814–1864)
7代アソル公/12代ストレンジ男爵ジョン・ジェイムズ・ヒュー・ヘンリー・ステュワート=マレー (英語版 ) (John James Hugh Henry Stewart-Murray, 1840–1917)
8代アソル公/13代ストレンジ男爵ジョン・ジョージ・ステュワート=マレー (John George Stewart-Murray, 1871–1942)
9代アソル公/14代ストレンジ男爵ジェイムズ・トマス・ステュワート=マレー (英語版 ) (James Thomas Stewart-Murray, 1879–1957) 死後に保持者不在
15代ストレンジ男爵ジョン・ドラモンド (英語版 ) (John Drummond, 1900–1982) 1965年に保持者不在解除。死後に保持者不在
16代ストレンジ女男爵ジェーン・シェリー・ドラモンド (英語版 ) (Jean) Cherry Drummond of Megginch, 1928–2005) 1986年に保持者不在解除
17代ストレンジ男爵アダム・ハンフリー・ドラモンド (英語版 ) (Adam Humphrey Drummond of Megginch, 1953-)
法定推定相続人 は現当主の息子ジョン・アダム・ハンフリー・ドラモンド (John Adam Humphrey Drummond, 1992-)
出典
^ Lundy, Darryl. “Roger Lestrange, 1st and last Lord Strange (of Ellesmere) ” (英語). thepeerage.com . 2019年11月7日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “John Lestrange, 1st Lord Strange (of Knockyn)1 ” (英語). thepeerage.com . 2019年11月7日 閲覧。
^ Heraldic Media Limited. “Strange of Knokyn, Baron (E, 1299 - abeyant 1594 - restored 1921) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2019年11月7日 閲覧。
^ 村上リコ 『【図説】英国貴族の令嬢ーDaughters of the British Arstocracy』(増補新版)株式会社河出書房新社 〈ふくろうの本〉、2014年、10頁。ISBN 9784309762951 。
^ Douglas Richardson, Plantagenet Ancestry , p. 692-693.
^ Lundy, Darryl. “Fulk Lestrange, 1st Lord Strange (of Blackmere) ” (英語). thepeerage.com . 2019年11月7日 閲覧。
^ a b Heraldic Media Limited. “Strange of Blackmere, Baron (E, 1309 - abeyant 1777) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2019年11月7日 閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Ebles Lestrange, 1st Lord Strange ” (英語). thepeerage.com . 2019年11月7日 閲覧。
^ Heraldic Media Limited. “Strange, Baron (E, 1627/8) ” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage . 2019年11月7日 閲覧。
関連項目