ジルベール・ド・シャロン(フランス語:Gilbert de Chalon, 900年頃 - 956年4月8日)は、ブルゴーニュ公(在位:952年 - 956年)、シャロン伯。名はギゼルベルト(ドイツ語:Giselbert)とも書かれる。シャロン伯マナセ1世と、プロヴァンス王ボソの娘エルメンガルドとの子。ブルゴーニュ公ユーグ黒公の姉妹エルマンガルド(Ermengarde)と結婚し、黒公の歿後公位に即いた。
ジルベールはブルゴーニュの独立を維持することができず、955年にパリ伯ユーグの臣下になり、長女をパリ伯の息子オトン(フランス王ユーグ・カペーの弟)と結婚させることを強いられた。
ジルベールは956年に死去し、息子がいなかったため、公位は娘婿オトンが嗣いだ。
子女
エルマンガルドとの間に二人の娘がいる。