第2代準男爵 サー ・ジョン・デューク (英語 : Sir John Duke, 2nd Baronet 、1632年 1月3日 洗礼 – 1705年 7月24日 )は、イングランド王国 の政治家。ホイッグ党 に所属し[ 1] 、庶民院 議員(在任:1679年 – 1685年、1689年 – 1690年、1697年 – 1698年)を務めた[ 2] 。
生涯
初代準男爵サー・エドワード・デューク (英語版 ) と妻エレナ(Ellenor 、旧姓パントン(Panton )、1600年またはそれ以降 – ?、ジョン・パントンの娘)の次男(長男は早世)として生まれ、1632年1月3日に洗礼を受けた[ 3] [ 1] 。1649年5月15日にケンブリッジ大学 エマニュエル・カレッジ に入学した[ 4] 。1671年に父が死去すると、準男爵 位を継承した[ 3] 。
1671年にサフォークの治安判事 と副統監 に就任、1677年から1678年までオーフォード (英語版 ) 市長を務めた[ 2] 。市長を務めたことでオーフォードの地方自治体(Corporation )との伝手ができたため、1679年3月 、1679年10月 、1681年 の総選挙で連続当選した[ 5] 。第1次排除法議会 (英語版 ) (1679年3月の総選挙で成立した議会)では王位排除法案 に賛成票を投じたが、以降は議会活動が全くなかった[ 2] 。その後は1683年12月に治安判事と副統監を解任されるなどデュークの勢力の切り崩しが始まったため、1685年イングランド総選挙 で立候補せず議員を退任した[ 2] 。
ジェームズ2世 の治世では1688年6月から10月まで短期間ダニッチ (英語版 ) の長老議員 (英語版 ) を務めたが、審査法 とカトリック刑罰法 の廃止には反対したとされる[ 2] 。オーフォードではデュークの影響力を弱めてトーリー党 の影響力を強めるよう自治体の勅許状が新しく発行されたが、同年の名誉革命 の後は元に戻され、デュークも影響力を取り戻して1689年イングランド総選挙 で当選した[ 5] 。デュークは同年にはサフォークの治安判事と副統監に復帰したが、2度目の議員期では議会活動が全くなく、1690年イングランド総選挙 をもって議員を退任した[ 2] 。
1690年代のオーフォードではトーリー党とホイッグ党 の政争が一層強まり、1693年には両党がそれぞれ自派の市長を選出する事態が起こっている[ 6] 。このときは法廷闘争の末トーリー党の勝利に終わったが、1695年イングランド総選挙 で当選した第3代準男爵サー・アダム・フェルトン (トーリー党所属)の調停が実を結ばず、1696年の市長選挙は1693年と同じ状況になった[ 6] 。デューク自身はホイッグ党を熱烈に支持しており、1695年の総選挙でアダムとその弟トマス・フェルトン (英語版 ) (ホイッグ党所属)が妥協して選挙協力したときは2人の妥協を激しく批判した[ 1] 。1697年2月にアダムが死去すると、デュークは補欠選挙での出馬を目指したが、準男爵位を継承したトマスがジョセフ・ジキル (英語版 ) を出馬させようとしたため、デュークは第8代ヘレフォード子爵エドワード・デヴァルー (トーリー党所属の有力者)の推す候補を支持しようとした[ 1] [ 6] 。やがてトーリー党からの説得を受けて自ら出馬することを決め、同年3月の補欠選挙で当選した[ 1] 。3度目の議員期でも議会活動が少なく、病気がちになったため1698年イングランド総選挙 で出馬しなかった[ 1] 。
以降は党派色が薄まり、1704年には中立の立場をとるようになったとされる[ 1] 。1705年に死去[ 3] 、同年7月24日にサフォーク のベンホール (英語版 ) で埋葬された[ 4] 。息子エドワード が準男爵位を継承した[ 3] 。
家族
1670年までに三従兄弟にあたるエリザベス・デューク(Elizabeth Duke 、1725年ごろ没、エドワード・デュークの娘[ 3] )と結婚、1男5女をもうけた[ 1] 。
エドワード (1694年ごろ – 1732年8月25日) - 第3代準男爵[ 3]
エリザベス - 早世[ 7]
ジェーン - ジョン・ブリーム(John Bream )と結婚[ 7]
アン - トマス・タイレル(Thomas Tyrrell )と結婚[ 7]
アラベラ(Arabella ) - モーリス・シェルトン(Maurice Shelton )と結婚[ 7]
出典
^ a b c d e f g h Hayton, D. W. (2002). "DUKE, Sir John, 2nd Bt. (1632-1705), of Benhall, Suff." . In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline ; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年6月2日閲覧 。
^ a b c d e f Watson, Paula (1983). "DUKE, Sir John, 2nd Bt. (1633-1705), of Benhall, Suff." . In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年6月2日閲覧 。
^ a b c d e f Cokayne, George Edward , ed. (1903). The Complete Baronetage (1649–1664) (英語). Vol. 3. Exeter: William Pollard & Co. p. 221.
^ a b "John DUKE (DK649J)" . A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
^ a b Watson, Paula (1983). "Orford" . In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年6月2日閲覧 。
^ a b c Hayton, D. W. (2002). "Orford" . In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline ; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年6月2日閲覧 。
^ a b c d Burke, John ; Burke, John Bernard (1844). A Genealogical and Hearldic History of the Extinct and Dormant Baronetcies of England, Ireland, and Scotland (英語) (2nd ed.). London: John Russell Smith . p. 176.