その年一杯、ジェームズ川艦隊と北軍陸上穂偉大の間に定期的な砲撃戦が生じた。艦隊は通常はドルーリーズブラフ付近にあった。1865年1月23日夜から24日の早朝にかけて、艦隊は北軍ユリシーズ・グラント将軍の補給を妨害するために、北軍の封鎖を突破しようとした(トレント・リーチの戦い、Battle of Trent's Reach)。この戦いにおいて多くの艦艇が沈没し、その他の艦艇も大小の損害を受けた。座礁した装甲艦もあったが、夜になって川の水位が上がったために離礁できたため、再び封鎖突破を試みたが発見され、激しい放火を浴びることとなった。結局艦隊には撤退命令が出された。
^Scharf, J. Thomas, A.M., LL.D., History of the Confederate States Navy From Its Organization to the Surrender of Its Last Vessel, New York: Rogers & Sherwood, 1887.
^Coski (1996), John M. Capital Navy: The Men, Ships and Operations of the James River Squadron, Campbell, CA: Savas Woodbury Publishers. ISBN 1-882810-03-1.
参考資料
John M. Coski (1996). Capital Navy: The Men, Ships and Operations of the James River Squadron. Campbell, CA: Savas Woodbury Publishers. ISBN1-882810-03-1