地元でジャーナリストとしての経歴を重ね、1988年に『トップ・ギア』のプレゼンターとして出演し、1990年代半ばから有名になり、テレビだけでなくトークショーや自動車関連本の出版なども行っている。2007年にはNational Television Awardsの「Special Recognition Award」を受賞した。
『トップ・ギア』の企画内においては、どのような車を批評する場合でもまずパワーを優先し、プロデューサーから与えられるチャレンジでも馬力が高い車を選択する上に、車番組らしく大衆車の批評をしろとプロデューサーから言われてもスポーツカーの批評に終始することもある。高出力の車(特にスポーツカー)の批評では興奮すると「パワー!!!!」と叫び、パワーやスピードが足りないと「カモーン!!」と叫ぶ。さらには「Power is EVERYTHING.」(パワーは全てだ)「More is better.」(気筒数は多ければ多いほど良い)と発言している。批評コーナーでは積極的に車をドリフトさせてパワーや挙動を比較することが多く、時にはタイヤをバーストさせてしまうことさえある[5]。
学生時代はやんちゃで通っていたようで、母親は上記National Television Awardsの関係者インタビューで、通っていた学校の教頭に呼び出され、「彼は将来すごく有名になるか、刑務所に行く事になる」と予言されたことを告白している。結局、本項目で示されるように「世界的に有名になった」上に「(主に『トップ・ギア』番組内で)何度も警察のお世話になっている」のでその予言はかなり当たっていたといえる。
『トップ・ギア』では車の修理などにハンマーを持ち出すことが多々あり「ハンマーで何でも直せると思いこんでいる」というキャラクターを演じていた。また「お調子者」というキャラクターを演じることも多く、例えばキャメロン・ディアスとトム・クルーズをゲストに迎えた際(シーズン15エピソード5)には、プリウスを愛用しているディアスに合わせて「I love the Prius!」など普段とは逆にプリウスを賞賛する発言を繰り返し、会場が苦笑いに包まれた。