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ジェームズ・ロバート・ロマック(James Robert Romak、1985年9月30日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州ロンドン出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
2003年のMLBドラフト4巡目(全体127位)でアトランタ・ブレーブスから指名され、プロ入り。この年は傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ブレーブスで19試合に出場し、4打点、打率.176だった。
2004年はアパラチアンリーグのルーキー級ダンビル・ブレーブス(英語版)で48試合に出場し打率.190・5本塁打・22打点・1盗塁を記録した。
2005年はルーキー級ダンビルで34試合に出場し打率.274・7本塁打・27打点・2盗塁を記録した。
2006年はA級ローム・ブレーブス(英語版)で108試合に出場し打率.247・16本塁打・68打点・3盗塁だった。
2007年1月19日にマイク・ゴンザレス、ブレント・リリブリッジとのトレードで、アダム・ラローシュと共にピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[1]。A級ヒッコリー・クロウダッズで開幕を迎え、4月30日にA+級リンチバーグ・ヒルキャッツへ昇格。A+級リンチバーグでは85試合に出場し、打率.252・15本塁打・45打点・2盗塁だった。
2008年はA+級リンチバーグで77試合に出場し打率.279・18本塁打・57打点、7月29日にAA級アルトゥーナ・カーブへ昇格、33試合に出場し、打率.208・7本塁打・23打点だった。
2009年はAA級アルトゥーナで64試合に出場したが、打率.175・5本塁打・24打点・1盗塁と結果を残せず、6月26日にA+級リンチバーグへ降格。A+級リンチバーグでは42試合に出場し、打率.213・3本塁打・14打点だった。オフの11月9日にFAとなった[2]。
2010年1月16日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[2]。開幕後はA+級ウィルミントン・ブルーロックスで82試合に出場。打率.304・7本塁打・48打点・4盗塁と結果を残し、7月にAA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズへ昇格。45試合に出場し、打率.278・6本塁打・16打点だった。オフの11月2日にFAとなった[2]。
2011年はAA級ノースウエストアーカンソーで124試合に出場し、打率.251・23本塁打・71打点・6盗塁だった。オフの9月16日に第39回IBAFワールドカップとグアダラハラパンアメリカン競技大会の野球カナダ代表に選出された[3]。ワールドカップでは銅メダル、パンアメリカン競技大会では金メダルを獲得している。11月8日に再契約を結んだ[2]。
2012年はAAA級オマハ・ストームチェイサーズで11試合に出場し、打率.147だった。
2012年5月17日に金銭トレードでセントルイス・カージナルスへ移籍[4]。移籍後はAAA級メンフィス・レッドバーズで31試合に出場したが、6月23日にAA級スプリングフィールド・カージナルスへ降格[2]。AA級スプリングフィールドでは64試合に出場し、打率.267・10本塁打・42打点・6盗塁だった。オフの11月2日にFAとなった[2]。11月20日にカージナルスとマイナー契約で再契約した。
2013年はAAA級メンフィスで134試合に出場し、打率.242・22本塁打・74打点・6盗塁だった[2]。オフの11月4日にFAとなった[2]。
2013年11月16日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ[5]。
2014年はAAA級アルバカーキ・アイソトープスで開幕を迎えた。開幕後は48試合に出場。打率.272・13本塁打・30打点・2盗塁と結果を残し、5月28日にドジャースとメジャー契約を結んだ[6]。同日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビュー。7回裏2死の場面でクレイトン・カーショウの代打として出場したが、二塁ゴロに終わった[7]。15試合に出場したが、打率.048・3打点と結果を残せず、6月25日にDFA(英語版)となり[8]、28日にAAA級アルバカーキへ降格した[2]。オフの11月3日にFAとなった[2]。
2014年11月22日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ[2]。
2015年はAAA級リノ・エーシズで開幕を迎えた。8月9日にメジャー契約を結んだ。11月10日にFAとなった[9]。
2015年11月13日にNPBの横浜DeNAベイスターズがロマックの獲得を発表した[10]。担当スカウトはライル・イェーツで、背番号はアーロム・バルディリスがこの年までに着けていた52。サムスン・ライオンズへ移籍したバルディリスの穴を埋めるべく、三塁手としての起用を想定したため、内野手として登録された。
2016年には、春季キャンプ中から内野守備で課題が露呈したため、一軍公式戦では開幕から右翼手としてスタメンに起用された。マイナーリーグ通算で200本塁打を記録したほどの打力を買われての起用であったが、相手投手への対応に苦慮。開幕後には打率0割台にまで落ち込む時期もあったため、我慢強くスタメンを固定する傾向かつ選手批判を極力しない方針であったラミレス監督をして「我慢の限界」と言わしめた。4月だけで2度にわたって二軍に降格するほどの不振に見舞われたことから、球団では急遽、新外国人野手の獲得に動き、5月にスイッチヒッターのエリアン・エレラを獲得することとなる。6月と9月には、代打要員として一軍に復帰したものの、いずれも短期間で二軍に戻された。一軍公式戦には、通算30試合に出場。本塁打を1本も放てず、打率.113(71打数8安打)、2打点と低迷。チームは史上初のクライマックスシリーズ進出したが、ロマック自身はシリーズ前の10月1日に帰国。シリーズ終了後の10月17日には、球団から戦力外通告を受けた[11]。ただし、二軍調整中でもアーリーワーク(早出特打)へ熱心に取り組む姿勢などからファンの人気は高く、Twitter上では「#ロマックがんばれ」というハッシュタグがトレンドに入ることもあった[12][13]。
2016年11月20日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[14]。2017年はシーズン開幕前の2月8日に第4回WBCのカナダ代表に選出された[15]。1次ラウンドの3試合に出場したが、打率.125(8打数1安打5三振)で本塁打を放てず、代表も2次ラウンド進出を逃した。
シーズンではAAA級エル・パソ・チワワズで迎えた。4月には、打率.372、11本塁打、25打点という好成績で、リーグの月間MVPに選ばれた[16]。
エルパソでの活躍に加えて、DeNA時代の担当スカウトだったライル・イェーツが2017年からKBOリーグのSKワイバーンズのコーチに転じたことを背景に、不振により退団したダニー・ワースの代役として、同年5月7日付でSKと契約。登録名は、ロメク(로맥)。レギュラーシーズンでは5月11日の一軍初出場から21試合で2ケタ本塁打に達するなど長打力を発揮したが、7月には一時期二軍に降格していた。同年、レギュラーシーズン開幕後に契約を結んだ外国人選手としてはKBO史上最多の31本塁打(一軍)を記録した。
2018年はSKで43本塁打を記録した。
2019年はファン投票枠でKBOオールスターゲームに選出された。オールスターゲームに参加するのは自身初であり、ホームランダービーでは優勝を飾りファンを沸かせた[17][18]。
2020年はチーム内2位の32本塁打、91打点を記録した。オフにSKワイバーンズと再契約を結んだ。また、自身初めて、ティップ・オニール賞を受賞した。
チーム名がSSGランダースに変わった2021年は107試合に出場し、打率.225、20本塁打、52打点の成績で2020年と比べて数値は低下した[19]。2021年10月31日、同年限りでの現役引退が報じられ[20]、11月30日に発表された2022年保留選手名簿から除外され自由契約となった。
2022年より、地元のカナダ・オンタリオ州ロンドンにある野球選手育成組織「グレート・レイク・カナディアンズ」のプレーヤー・パフォーマンス・ディレクターに就任した[21]。
12 アーニー・ウィット
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