シルヴェストレ・マヌエル・ゴンサルヴェス・ヴァレラ (Silvestre Manuel Gonçalves Varela , 1985年 2月2日 - )は、ポルトガル共和国 セトゥーバル県 アルマダ 出身の元サッカー選手 。現役時代のポジションはFW (WG) 。
来歴
スポルティング
2002年からスポルティングCP のユースチームに所属し、2005年にトップチーム昇格。プロ生活を開始してから早い時期にカサ・ピアAC とヴィトーリアFC へレンタル移籍した。U-21ポルトガル代表 の主力選手として様々な大会でプレーするも、スポルティングでは2005-06シーズンに2試合途中出場しただけと、ファーストチームで居場所を見つけることが出来なかった。
2007-08シーズンのヴァレラは、スポルティングの同僚ベト とカルロス・マルティンス と共にスペイン のレクレアティーボ・ウェルバ でプレーした(ヴァレラは3度目のレンタル移籍)。リーガ・エスパニョーラ では、十分なプレー時間を与えられたにもかかわらず失望のシーズンに終わり、2008年7月にスポルティングへ復帰するも直後にCFエストレラ・アマドーラ へ売却された。
ポルト
2008-09シーズン終了直前の2009年3月、エストレラで良いプレーを見せるもチームが降格したことにより、ヴァレラは自由移籍でFCポルト と4年契約(2009年7月からスタート)を結んだ[ 1] 。
ポルトでの最初のシーズンは、コロンビア代表 ストライカーのラダメル・ファルカオ に次ぐチーム2位の得点を挙げ好調だったものの、2010年3月の練習中に腓骨を負傷したことによりシーズンを終了[ 2] 。チームも3位に終わった。
2010-11シーズンは、アンドレ・ビラス・ボアス 監督の下でファルカオとフッキ と共に3トップを形成し、カップ , UEFAヨーロッパリーグ 2010-11 , そしてリーグ 戦では1部でキャリアトップとなる10ゴールを決め、無敗優勝の偉業達成とトレブル に大きく貢献した。
しかし、2011-12シーズンにビトール・ペレイラ が新監督に就任すると、ヴァレラは2人のポルトガル代表 選手のベト , ルベン・ミカエル のようにファーストチームでは重要視されなくなり、ハメス・ロドリゲス にポジションを奪われていった。2012年2月16日、UEFAヨーロッパリーグ 2011-12 ラウンド32第1戦マンチェスター・シティFC をホームに迎えた試合で珍しくスタメン出場すると、先制ゴールを決めたが1-2で逆転負けした[ 3] 。
2014年8月24日、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC にレンタル移籍したが[ 4] 、出場機会に恵まれず、2015年1月20日にパルマFC へレンタル移籍した[ 5] 。
代表
ポルトガル代表でプレーするヴァレラ
2010年3月3日、コインブラ で行われた中国 との親善試合で後半から出場。2-0でA代表 デビュー戦を勝利で飾った。2011年3月26日のレイリア で1-1で引き分けたチリ との親善試合で代表初得点を記録[ 6] 。
パウロ・ベント 監督の下でUEFA EURO 2012 に臨む23名にも選出された。初戦のドイツ 戦で1点のビハインドを追う中、残り10分のところでラウール・メイレレス に代わりピッチに入るも、そのまま追いつけず0-1で敗北した[ 7] 。グループリーグ第2戦のデンマーク 戦では同点とされた直後に再びメイレレスに代わり後半39分から途中出場すると、その3分後に最初のボールタッチから決勝ゴールを挙げポルトガルの大会初勝利に貢献し、グループリーグ突破に望みを繋げた[ 8] [ 9] 。
2014 FIFAワールドカップ グループリーグ 第2戦のアメリカ 戦では、後半途中から出場し、ロスタイムに同点ゴールを挙げポルトガルを敗退の危機から救った。
代表歴
出場大会
試合数
国際Aマッチ 27試合 5得点(2010年-2015年)[ 10]
ポルトガル代表 国際Aマッチ
年 出場 得点
2010
2
0
2011
3
1
2012
10
2
2013
5
1
2014
6
1
2015
1
0
通算
27
5
タイトル
クラブ
FCポルト
出典
外部リンク