「ザッツ・オール・ライト 」 (That's All Right ) は、ブルース 歌手 アーサー・クルーダップ が書き、最初に演奏した楽曲。エルヴィス・プレスリー が最初に吹き込み、サン・レコード でからリリースされたシングル として広く知られている。プレスリーのバージョンは、1954年7月5日に録音され、同じく7月19日に「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー 」をB面にしてリリースされた[ 1] 。2010年の「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500 」において、113位となった[ 2] 。「ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・グレイテスト・ギター・ソングス100」では、37位にランクインした[ 3] 。
アーサー・クルーダップによる録音
この曲は、アーサー・"ビッグ・ボーイ"・クルーダップ が書き、自ら1946年9月6日にシカゴ で「ザッツ・オール・ライト (That's All Right)」として最初に録音した。歌詞の一部は、ブラインド・レモン・ジェファーソン が1926年に録音を残した伝統的なブルースの歌詞を流用している[ 4] 。クルーダップの録音は、RCAビクター から RCA Victor 20-2205 としてリリースされたが、それまでの作品に比べ、売れ行きは芳しくなかった。最初の吹き込みを行なった録音セッションにおいて、クルーダップは、ほとんど同じ曲を、歌詞を少し変えて歌っていたが、そちらも「I Don't Know It」と題し、RCA Victor 20-2307 としてシングル・リリースされた。1949年3月はじめ、この曲は「ザッツ・オール・ライト・ママ(That's All Right, Mama)」という曲名でリリースされた (RCA Victor 50-0000) が、これは当時の新しい規格であった45回転シングルでリリースされた最初のリズム・アンド・ブルース のレコードで[ 5] 、明るいオレンジ色のヴァイナル盤であった[ 7] 。
エルヴィス・プレスリーによる録音
制作
1953年の夏(7月18日ではないかとされている)プレスリーは最初のアセテート盤 を録音するためにサン・レコードを訪れた。順番待ちをしている際に受付のマリオン・キースカーに「あなたはどんな歌が歌えるの?」と聞かれ「僕はなんでも歌えます」と答え、さらに「誰に似ているの?」と聞かれ「僕は誰にも似ていません」と答えたという。母親へのプレゼントのために録音したいとプレスリーは語り、3ドル98セントプラス税金を支払い録音を行った。
録音を聞いたプレスリーは「ひどい、誰かがバケツのふたを叩いているみたいに聞こえる」と言ったという。「マイ・ハピネス」と「心のうずくとき」を歌い、録音を終えるとマリオン・キースカーはプレスリーの住所と、プレスリー一家の階下に住むラビの電話番号(プレスリーの家には電話がなかった)と「バラードが上手い青年」というメモを残す。後にプレスリーは「自分の声がどんな風に聞こえるか知りたかったんだ」と回想している。この最初のアセテート盤は長い間所在が不明だったが、1988年8月元クラスメイトだったエドワード・リードが所有していることを名乗り出る。プレスリーの家にはレコードプレーヤがなかったため彼の家で聴いたものがそのままになっていた[ 9] [要ページ番号 ] 。
プレスリーは1954年1月に2枚目のアセテート盤を作るために再びサン・レコードを訪れ、「アイル・ネヴァー・スタンド・イン・ユア・ウェイ」と「イット・ウドゥント・ビー・ザ・セイム・ウィザウト・ユー」を録音している。
この時にサン・レコードのオーナーであるサム・フィリップスに出会っている。この2枚目のアセテート盤も1993年に発見された。この2枚のアセテート盤に録音された曲は「サンライズ」や「エルヴィス・プレスリー・コンプリート・シングル・コレクション」などで聞くことが出来る。
1954年6月、ナッシュヴィルの音楽出版社ピア・ミュージックから「ウィザウト・ユー」という曲のデモレコードを受け取ったサム・フィリップスはデモを歌った歌手を突き止められず(無名の黒人少年だったという)マリオン・キースカーはプレスリーなら歌えるのではないかと進言してプレスリーに連絡を取ることになり、26日にプレスリーをスタジオに呼んだ。この時プレスリーは電話を終えるとすぐに走ってきたという。スタジオで「ウィザウト・ユー」とその他何曲か歌ったものの上手くいかず録音は断念される。しかしサム・フィリップスはプレスリーがいいものを持っているという印象を受け、スコティ・ムーアに電話して有望な歌手がいると言い名前と電話番号を教える。
7月3日土曜日にスコティ・ムーアはプレスリーへ電話をかけサン・レコードのタレント・スカウトだがオーディションを受けないかと言い、4日にプレスリーはスコティ・ムーアの家を訪ねオーディションを受けた。この時ビル・ブラックも様子を見に来ている。そして7月5日にサン・レコードでプレスリー、スコティ、ビルの3人によるセッションが行われることになった。「ハーバー・ライト」や「アイ・ラヴ・ユー・ビコーズ」を歌った後コーラを飲みながら休憩を取ることになった。その休憩中にプレスリーはふざけてギターを叩きながらこのザッツ・オールライトを歌いだし、スコティとビルもそれに合わせて即興で演奏していたところ(スコティとビルは演奏していなかったとの説もある)、サム・フィリップスが入ってきて「今のは何だ?」と聞くと彼らは「わからない」と答えた。「今のをもう一度やってくれ」とサムに指示されこの曲が録音され、シングルリリースが決まった。
6日にB面の曲を録音するために再び集まりここでもプレスリー達はふざけまわった末、ビル・ブラックがファルセットでブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー を歌いだしそのままB面の曲に決まった。サンでの最初のセッションが終わると、サム・フィリップスはすぐにアセテート盤のデモ・レコードを作りWHBQのDJのデューイ・フィリップス と、WMPSのアンクル・リチャード、WHHMのスリーピー・アイド・ジョン・レプリーに届けた。
リリース
7月10日の午後9時30分ごろデューイ・フィリップスは「レッド・ホット・アンド・ブルー」という番組でプレスリーの「ザッツ・オール・ライト」をかけたところ大反響を呼び、リクエストの電報が14通、電話が47本寄せられ番組が終わるまでに7回(14回という説もある)かけ、急遽プレスリーにインタビューを行うことになり映画館にいたところを友人親族に発見され(自分の歌がラジオから流れるのが恥ずかしかったという)黒人ではないことをリスナーに知らせるためヒュームズハイスクールの出身であることを明かした。[ 11]
「ザッツ・オール・ライト」は、7月19日にリリースされ、約2万枚を売り上げた。国際的なチャートにランクインすることはなかったが、メンフィスのチャートで3位まで上昇した。プレスリーはアーサー・クルーダップについて、1976年に「これがあなたの目標だったんですか?これほどまでになれると思っていましたか?」と質問された際に「目標があったとしたらアーサー・クルーダップのような存在になることだった。1949年、彼を観た時にあんなふうに演りたいと思ったんだ」と答えている[ 12] 。
2004年再発盤
2004年7月にイギリスでマキシシングル として再発売され、全英シングルチャート で最高位3位を獲得した[ 13] 。イギリス以外の国でもヒットを記録し、オーストラリアで31位[ 14] 、アイルランドで33位、スウェーデンで47位[ 15] を獲得した。
チャート成績
年間チャート
チャート (2004年)
最高位
UK Single (Official Charts Company)[ 20]
194
認定
その他のアーティストによる演奏
ビートルズ は、1963年7月2日にメイダ・ヴェール・スタジオ (英語版 ) で「ザッツ・オール・ライト」の録音を行なった。この日の演奏は、1963年7月16日にBBCライトプログラム の番組『Pop Go the Beatles』内で放送され[ 22] 、1994年に発売された『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC 』に収録された[ 23] 。
脚注
出典
^ “Elvis Presley records "That’s All Right (Mama)" ”. History.com. 2010年7月6日 閲覧。
^ "The Rolling Stone 500 Greatest Songs of All Time" Rolling Stone magazine, #963, December 9, 2004. on scribd.com. Accessed March 31, 2011.
^ [1]
^ Francis Davis, The History of the Blues: The Roots, the Music, the People , p,122
^ What Was The First Rock'n'Roll Record . Faber and Faber. (1992). pp. 201. ISBN 0-571-12939-0
^ Dawson, Jim, and Steve Propes, What Was The First Rock 'n' Roll Record ? (Faber and Faber, 1992), ISBN 0-571-12939-0
^ 東理夫『エルヴィス・プレスリー―世界を変えた男』文春新書、1999年2月1日。ISBN 4-1666-0029-X 。
^ エルヴィス〜ザ・キング・オブ・ロックン・ロール コンプリート50'sマスターズ (ブックレット). エルヴィス・プレスリー. BMGビクター. 1997. p. 67.
^ ポール・E・サモン 編『エルヴィスとは誰か 20の"キング"伝説』杉原志啓(訳)、音楽之友社、1998年12月10日、132頁。ISBN 4-2762-3446-8 。
^ a b "Official Singles Chart Top 100" . UK Singles Chart . 2022年2月13日 閲覧。
^ a b "Australian-charts.com – Elvis Presley – That's All Right" . ARIA Top 50 Singles . 2022年2月13日 閲覧。
^ a b "Swedishcharts.com – Elvis Presley – That's All Right" . Singles Top 100 . 2022年2月13日 閲覧。
^ “Elvis Presley – Chart History (Hot Canadian Digital Song Sales) ”. Billboard . 2022年2月13日 閲覧。
^ “Hits of the World – Eurocharts” . Billboard 116 (30): 55. (July 24, 2004). https://worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Billboard/00s/2004/BB-2004-07-24.pdf .
^ "Irish-charts.com – Discography Elvis Presley" . Irish Singles Chart . 2022年2月13日 閲覧。
^ "Official Scottish Singles Sales Chart Top 100" . Scottish Singles Top 40 . 2022年2月13日 閲覧。
^ “The Official UK Singles Chart 2004 ”. UKChartsPlus . 2022年2月13日 閲覧。
^ "American single certifications – Elvis Presley – That's All Right" . Recording Industry Association of America . 2022年2月13日閲覧 。
^ Davies, Hunter (2016). The Beatles Book . Ebury Publishing. p. 638. ISBN 1-4735-0247-0
^ Winn, John C. (2008) [2003]. Way Beyond Compare: The Beatles' Recorded Legacy, Volume One, 1957-1965 . p. 53. ISBN 0-3074-5238-7
参考文献
外部リンク