株式公開会社・科学製造合同「サトゥールン」 (ロシア語 : ОАО «Научно-производственное объединение „Сатурн“» )は、ロシア連邦 の機械 製作企業 である。略称はNPO「サトゥールン」 (ロシア語: НПО „Сатурн“ ) 。
主に軍用機 や民間機 および艦 船 向けのガスタービンエンジン の開発・製造を行っている。
2001年 にそれまでの製造部門の株式公開会社「ルィービンスキエ・モトールィ 」と開発部門の株式公開会社「A・リューリカ=サトゥールン 」が合併して誕生した。企業形態は株式会社 であり、ヤロスラーヴリ州 のルィービンスク市 に本社を置いている。社長 はユーリイ・ラーストチュキン 。なお、「サトゥールン」とはロシア語で「土星 」のこと。
概要
歴史
NPO「サトゥールン」のそもそもの始まりは、ロシア帝国 時代の1916年 に設立されたロシア・ルノー社 のルィービンスク自動車 工場であった。ロシア革命 後の1924年 には部門を航空機用エンジン に変え、1928年 にはその最初の量産化を果たした。1938年 からはイスパノ・スイザ12Y V型12気筒 液冷エンジン を基に開発されたM-100 、M-103 、M-105、M-105PF といった優れたエンジンを生産した。M-105PFは、Yak-3 の搭載エンジンとして採用された。
「A・リューリカ=サトゥールン」で大量生産されたAL-21F3ターボジェットエンジン
1947年 には、ソ連 で最初の量産型ジェットエンジン となるTR-1 の開発に成功した。その後、AL-7 シリーズが初のマッハ 2級ジェットエンジンとして大きな成功を収めた。このエンジンを開発したアルヒープ・リューリカ は、自身が指導する開発チームを持つことを許された。これが、のちに特殊設計局「A・リューリカ=サトゥールン」となった。
1968年 には超音速旅客機 Tu-144D 用のRD-36-51 エンジンを開発、1970年 にはIl-76 向けのD-30KP 、Il-62M 向けのD-30KUの量産化に成功した。1972年 には、アメリカ合衆国 のJ79 ターボジェットエンジンを参考にAL-7を改良したAL-21F シリーズを開発した。このエンジンは、Su-17 シリーズやSu-24 シリーズに広く採用された。1975年 にはSu-27 向けにAL-31F ターボファンエンジンを開発した。このエンジンは、Su-27の派生型であるSu-33 やSu-35 にも採用された。
ソビエト連邦の崩壊 後、ルィービンスクの各エンジン関連設計局 ・工場 はロシア連邦の企業となった。国際的な競争力を高めるため、1997年 にはルィービンスク・エンジン製作設計局 が「ルィービンスキエ・モトールィ」が合併した。1998年 には、ヴォールシュスキイ機械製作工場 が「ルィービンスキエ・モトールィ」と合併した。2001年には、「ルィービンスキエ・モトールィ」と「A・リューリカ=サトゥールン」が合併し、NPO「サトゥールン」が誕生した。
経営
NPO「サトゥールン」の建物
製造部門の敷地面積は100万m2 になり、そこでは1万2千以上のプラントが稼動している。
NPO「サトゥールン」の株式 は、37 %を国家が保有しており、57 %を経営陣が、6 %をその他の株主 が保有している。2007年 12月21日 時点でのロシア取引システム における市場 資金は119億ルーブリ であった。[ 1] 株式の内、19.98 %はパートナーシップを結んでいるウーファ・モーター製作製造合同 に所有されている。[ 1]
従業員数は、2006年 1月1日 現在で17900 人であった。2006年の年間販売額は80億ルーブリで、その内欠損額は1億8300万ルーブリであった。
[ 1]
製造した主なエンジン
製造した主なエンジンのシリーズ。
脚注
^ a b c Алексей Никольский . «Все рычаги у государства есть и сейчас», — Юрий Ласточкин, генеральный директор НПО «Сатурн» // Ведомости, № 243 (2017), 24 декабря 2007
外部リンク