彼は最終的にコロムビア・レコードのスタッフ・プロデューサーになり、ザ・バーズやイギリスのデュオであるチャド&ジェレミー、カート・ベッチャーを擁するザ・ボールルームなどをプロデュースし、過去にサーフ系の曲でやったアッシャーの得意技である架空のバンドのでっち上げにより「サジタリウス」でシングル「My World Fell Down」を発売、このシングルが小ヒットした後に、カート・ベッチャーや彼のバンド、ザ・ミレニウムのメンバーと共に「サジタリウス」としてアルバム『プレゼント・テンス』を制作。このアルバムが商業的に失敗した後にコロムビアレコードを馘首、キース・オルセン、ベッチャーと共にトゥギャザー・レコードを設立した。
1970年代、アッシャーはザ・ワッカーズの最初の2枚のアルバムをプロデュース。また、ザ・シップというフォーク・バンドのコンセプト・アルバムもプロデュースした。1976年から1977年にかけてはカート・ベッチャーと『The California Album』(当時は未発売)を共同プロデュースし、個人的なプロジェクトとして、1972年に当時デモ音源しかなかった『Beyond a Shadow of Doubt』というレコード付きの本をコラボレーターのディック・キャンベルと共に制作した。『Beyond a Shadow of Doubt』は2001年6月に日本で発売された。
アッシャーは1984年にセレスティウム名義でアルバムを発表。シンセを多用したこのLPは『Sanctuary』と名付けられ、シンガーにトム・ケリー、キーボードにマイク・メロスとアラン・パスクア、2曲でブレント・ネルソンがドラムを叩いている(他のドラムのほとんどはデジタル・プログラム)。エンジニアのビル・フレッチャーは、数曲のベース奏者でもあった。アッシャーは1986年にもブライアン・ウィルソンと仕事をしたが、ウィルソンのセラピストで物議を醸したユージーン・ランディと衝突。アッシャーが最後に共作した曲のひとつが、1985年にシンガーソングライター/プロデューサーのジョセフ・ニコレッティと共作した「Let's Put the Fun Back in Rock n Roll」だ。この曲はゴールデンボーイズ(フランキー・アヴァロン、フェビアン、ボビー・ライデル)によってレコーディングされ、1988年12月6日にフォード劇場でレーガン大統領夫妻のために演奏された。
^David N. Howard, Sonic Alchemy: Visionary Music Producers and Their Maverick Recordings, 2004, ISBN147685209X: "Ever since Usher's early surf and hot rod days, he had been creating fictitious studio groups such as the Super-Stocks and the Kickstands, imaginary bands to sate the hungry surf and hot rod record-buying audience."