モンゴル代表の首相トグス・オチリン・ナムナンスレン(英語版)は、自治を事実上の独立まで拡大しようと努め、漠然として効果がない宗主国以上のものを拒否しようとした。中国側は、仮にモンゴルの自治を終わらせないとしても、最小限にしようとした。モンゴルは、モンゴル全体の真の独立承認を否定したがゆえに、条約を災害のように見なした。外蒙古は、効果的に中国の支配下から外れようとして[1]、ロシア外務省法務部長のbaron B.E. Noldeの説明の通り、当時の国際法に基づく国家としての全ての属性が必要だった[2]。