キャシー・デニス(Cathy Dennis、1969年3月25日 - )は、イギリスの歌手、シンガーソングライターである。ソングライターとしてアイヴァー・ノヴェロ賞を含む数多くの賞を受賞するなど成功を収めた[1][2]。
略歴
1990年代:歌手としての成功
14歳のときから地元のバンドに参加するなど、音楽活動を行っていた。17歳のときにデモテープを認められ、ポリドール・レコードと契約を結ぶ。ソロ・デビューに先駆けてD-MOBの作品「カモン&ゲット・マイ・ラヴ」(1989年)にボーカルとして参加し、全米10位、全英15位の成果を収める。同年、シングル「ジャスト・アナザー・ドリーム」でソロ・デビュー(全英93位、1991年の再々発売で全英13位)。1990年12月にはファースト・アルバム『キャシー・デニス』(原題:Move to This)を発表(全英3位、全米32位)。1990年8月には、D-MOBの代役で来日公演を行っている。
「ジャスト・アナザー・ドリーム」は、全米9位、全英95位とアメリカでも成果を収めた。次いで、「タッチ・ミー (オール・ナイト・ロング)」(1991年)が全米2位、全英5位の大ヒットとなった。この曲は、1984年のFounda RaeとWishによる同名曲のカバーであった。さらに、「トゥー・メニー・ウォールズ」が全米8位、全英17位の成果を収めた。アメリカのヒットチャートでのデビュー曲から連続したトップ10入りは、イギリス人女性アーティストでは初となる記録であった。米『ビルボード』誌で1991年度ベスト新人女性アーティストにも選ばれた。同年11月には、日本でコンサートを開いている。
1992年、シングル「ライド・トゥ・ミー」を発表(全英34位、全米32位、米国ダンスチャート6位)。1993年1月には、セカンド・アルバム『イントゥ・ザ・スカイライン』を発表する(全英8位、全米135位)。同アルバムはアメリカ市場を意識したものであったが、思ったような成果はあがらなかった。1993年、アメリカのテレビドラマ『ビバリーヒルズ高校白書』シーズン3の第27話にゲスト出演している。
1994年2月からサード・アルバム『Inspiration』の制作に取りかかったものの、結局お蔵入りとなった。またこの年、日本向けのシングル「イッツ・マイ・スタイル」を発表する。
1995年3月1日には日本向けのシングル「ラヴズ・ア・クレイドル〜天気予報の恋人」を発表する。この曲は、1989年にCHAGE and ASKAがリリースした「天気予報の恋人」の英語版カバーであった。この曲は翌年、CHAGE and ASKAの楽曲を世界中の一流アーティストがカバーするトリビュートアルバム『one voice THE SONGS OF CHAGE&ASKA』にも収録され、実質的な先行シングルとなった。
1996年、シングル「ウエスト・エンド・バッド」を発表する(全英25位)。1997年3月、サード・アルバム『私って…?』を発表する(全英78位)。同アルバムの収録曲は、それまでのダンス・ポップスから大きく変化し、ギターを基調としたポップスになった。更にアルバムからは「Waterloo Sunset」(全英11位、キンクスのカバー曲)および「When Dreams Turn to Dust」(全英43位)をシングル・カットする。以後はソングライターとしての活動が主となる。
2000年代-:ソングライターとしての成功
デニスはファースト・アルバムからほとんどの曲作りに関与しており、1991年3月には「私は何よりソングライターとして成功したいんです。パフォーマンスをするのも楽しいですけれど、一番比重を置いているのは曲作りですね」と語っていた[要出典]。
2000年代に入ってからソングライターとして参加したS Club 7の「Never Had a Dream Come True」(2000年)が全英1位を獲得したのを皮切りに、全英をはじめ世界各国で1位に輝いたカイリー・ミノーグの「熱く胸を焦がして」、全英1位・全米9位を記録したブリトニー・スピアーズの「トキシック」など数々のヒット曲を生み出しソングライターとして著名になる。2008年にもマックス・マーティンらと共作し、ケイティ・ペリーに提供した「キス・ア・ガール」が全米と全英をはじめ世界各国で1位を記録した。この頃には印税収入により、イギリスで最も稼いでいる女性の1人と称された。
2004年、Qが選ぶ音楽業界で最も影響力のある女性に選出[1][3]。
2006年、イギリス音楽業界のウーマン・オブ・ザ・イヤー賞を受賞[1]。
アイヴァー・ノヴェロ賞を6度に渡って受賞しており、2018年にはアウトスタンディング・ソング・コレクション賞を受賞している[4]。
ソングライターとして成功して以降は歌手としては活動停止状態だったが、2019年にロンドンで開催された音楽フェス、マイティー・フープラに参加し久々に公の場で歌声を披露[5]、セットリストには自身のヒット曲や他アーティストに提供したヒット曲が連なった。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
- 『キャシー・デニス』 - Move to This (1990年、Polydor)
- 『イントゥ・ザ・スカイライン』 - Into the Skyline (1992年、Polydor)
- 『私って…?』 - Am I the Kinda Girl? (1996年、Polydor)
リミックス・アルバム
- 『ザ・リミックス・キャシー・デニス』 - Move To This - Remix Album (1991年、Polydor)
- 1stアルバム『キャシー・デニス』から一部楽曲をリミックスに差し替えた内容、来日記念盤。
- Everybody Move (To The Mixes) (1991年、Polydor)
コンピレーション・アルバム
- The Irresistible Cathy Dennis (2000年、Spectrum Music)
- 3枚のオリジナル・アルバムからアルバム曲含めて選曲したベスト盤。ソロ名義のシングル曲は全曲収録されているが,日本限定発売シングルとD Mobとのコラボレーション・シングルは全て未収録。
シングル
主な提供曲
共作含む。
脚注
外部リンク
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楽曲 | |
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関連項目 | |
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