ガールスカウト (英語 : Girl Scouts )は、少女 のためのスカウト運動 団体の名称である。ガールガイド (Girl Guides) ともいう。
概説
メアリー王女 の激励を受ける英国ガールガイド(1922年)
1911年、オランダにおける初のガールガイド
ドイツ のガールガイド(2007年)
日本のガールスカウト (1960年)
1908年 にイギリス でロバート・ベーデン=パウエル が発足させたボーイスカウト に倣い、1910年 にベーデン=パウエルの実の妹アグネス・ベーデン=パウエル によって発足したガールガイド を母体として、1912年 にアメリカ のジュリエット・ロー がこれにならって創設した少女訓育団体を指す。その後、急速に全世界に波及し,1928年には「ガールガイド・ガールスカウト世界連盟 (WAGGGS )」が結成された。2015年 現在で146の国と地域が加盟し、メンバー数1,000万人を数える[ 1] 。
ガールスカウトでは「ベーデン=パウエル」とは発音せず、「ベーデン・ポウエル」と発音し、記述している。「ベーデン・パウエル」は英語の発音、「ベーデン・ポウエル」は米語の発音と言われ、アメリカよりガールスカウトが伝わったからだとも言われている[誰によって? ] 。
活動
ガールスカウト運動の原点である「やくそく」と「おきて」を定めていて、人種 ・国籍 ・宗教 の差別なく、健全かつ幸福で社会に貢献する女性の育成を目的とする。活動内容はボーイスカウトと共通なものがかなり多く、少女たちが健全なレクリエーションや奉仕、救急、国際理解などの諸活動を通して、よい公民へと育ち、社会文化への寄与能力ももつようになることを目ざしている。
世界共通のクローバの記章と各国の特徴を生かす制服を着用して活動する。
ボーイスカウトとの相違
ボーイスカウトは、女性の社会進出、女性差別 ・男尊女卑 の撤廃(男女平等 の確立)、女性によるソフト面のケアへの期待などの理由(100年前の社会情況と違う)により、少女のスカウトと女性の指導者の受け入れを認めている。(女子専用のテントなど女子に対しての配慮はあるが、活動中、女子だから男子だから、などと性別で分けるような区別はない)(=ジェンダーフリー )
一方、ガールスカウトは男子のスカウトと男性の指導者の受け入れを認めていないため、男性差別 だと批判を受けることもある。
各国におけるガールガイド・ガールスカウト
アメリカ合衆国
アメリカではジュリエット・ゴードン・ローが1912年にガールスカウトアメリカ連盟(Girl Scouts of the U.S.A.)を設立。他の国に比べ、多くの少女が参加しており、現在のメンバー数は約400万、OGはおよそ5千万にも上る。全国的な活動として年に一度のクッキーセールがあり、これは当初、ガールスカウトが募金活動の一環としてクッキーを焼きそれを売ったことにはじまり、現在では伝統行事の一環になっている。
日本
ガールガイドを日本にもたらしたのは、英国国教会 から日本聖公会に派遣された宣教師 ミュルエル・グリーンストリートである。彼女は英国ガールガイドの一級団員であり、東京の香蘭女学校 において「ガールガイド東京第一組」を発足させ、1920年 (大正 9年)1月30日 、聖アンデレ教会 で発団式を行った(このときの団員は12名)。同年7月に猪苗代湖 畔にあった宣教師ディクソンの別荘で最初のキャンプ が行われた(これは指導者3名、参加者9名であった)。1923年 、日本独自のガールガイド組織として、「日本女子補導団」が設立された。総裁は林富貴子(伯爵 林博太郎 の妻)、副総裁は「少年団日本連盟(現在のボーイスカウト日本連盟 )の副理事長三島通陽 の妻である三島純、書記は檜垣茂。第二次大戦 による中断の後、1947年 (昭和 22年)活動を再開し1949年 (昭和24年)には現在の公益社団法人の前身である「社団法人ガールスカウト日本連盟 」が発足し、ガールガイド・ガールスカウト世界連盟に加盟している。
スリランカ
フィジー
モルディブ
世界のガールスカウト/ガールガイド出身の著名人
日本の著名人についてはガールスカウト日本連盟 を参照。
ガールスカウト豆知識
ブラウニーのヒントとなったのは、ジュリアナ・ホレイショー・イウィングの『ブラウニーズ』である。(B-P談)
脚注
出典
^ ガールスカウトとは-ガールスカウト日本連盟 2015/5/21閲覧
関連書籍
関連項目
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外部リンク