カジミエシュ・デイナ(ポーランド語: Kazimierz Deyna, 1947年10月23日 - 1989年9月1日)は、ポーランド出身の同国代表サッカー選手。ポジションはMF、FW。
経歴
地元のヴォクニアシュ・スタロガルド・グダンスキでサッカーを学び、1961年にŁKSウッチに入団して選手キャリアをスタートさせる。元々はFWの選手で、1968年にポーランド代表に選出されると、1972年ミュンヘンオリンピックでは9得点を上げ得点王に輝くと共に優勝に導いた[1]。
1974年のワールドカップ西ドイツ大会ではエースのヴォジミエシュ・ルバンスキが欠場した事で中盤に下がりゲームメイクを担当する事になった。大会に入ると、デイナの放つ鋭いロングパスからFWのグジェゴシ・ラトー、ロベルト・ガドハが俊足を飛ばす高速カウンターサッカーが見事に機能。1次リーグ最終戦、イタリア戦では、優勝候補の一角と目された強豪を相手に44分に決勝点をあげ[2]2-1で破る活躍を見せるなど、この大会の3位入賞の原動力となった。
ポーランド代表としては1978年のワールドカップアルゼンチン大会でもプレー。この年に代表から退くまで国際Aマッチ97試合に出場41得点を記録した。
クラブレベルでは1978年にイングランドのフットボールリーグ・ディビジョン1(当時の最上位リーグ)のマンチェスター・シティFCへ移籍。1981年からは北米サッカーリーグのサンディエゴ・サッカーズへ移籍し、1984年に同リーグが消滅後もインドアサッカーの選手としてアメリカに留まってプレーを続けていた。1989年9月1日、カリフォルニア州サンディエゴで自動車事故により死去。41歳没。
獲得タイトル
代表
クラブ
脚注
外部リンク
タイトル・受賞歴 |
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スポルト |
- 1967: ルバンスキ
- 1968: 該当者なし
- 1969: 該当者なし
- 1970: ルバンスキ
- 1971: 該当者なし
- 1972: 該当者なし
- 1973: デイナ
- 1974: ラトー
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ピルカ・ノジュナ | |
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