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オレグ・ロマンツェフ(Oleg Romantsev、Олег Иванович Романцев、1954年1月4日 - )は、ロシア出身のサッカー選手、サッカー指導者。
元ソビエト連邦代表選手。現役時代は所属したすべてのクラブでキャプテンを務めた。指導者としてはスパルタク・モスクワ、ロシア代表等の監督を務めた。
リャザン州のGavrilovskoye村で生まれる。父は道路工事の現場監督として働いており、家族と共にコラ半島、アルタイ、キルギスタンなど国内を転々。1960年代前半にクラスノヤルスクに住み着いた。
メタルルグ・ユースチームを経て、同じクラスノヤルスクを本拠地とするアフトモビリストのユースに移籍。シベリアおよび極東ユース選手権で4試合7得点を挙げ大会最優秀選手となり、ソ連ユース選手権でもアフトモビリストの3位進出に貢献した。
1971年からはアフトモビリストのトップチームに昇格して、ソ連2部リーグでプレイ。この時期にフォワードから左サイドバックへとポジションを変更している。1976年にスパルタク・モスクワへと移籍するが、わずか2試合の出場に留まり、翌1977年はアフトモビリストに戻る。しかしコンスタンチン・ベスコフ新監督の説得により、再びスパルタクに移籍。スパルタクでは165試合6得点の記録を残して1983年に引退した。
1980年から1982年までソ連代表に選ばれ、15試合1得点。
1984年にクラスナヤ・プレスニヤで監督としてのキャリアを始め、スパルタク・オルジョニキーゼを経て1989年にスパルタク・モスクワ監督に就任。
スパルタクの監督として、ソ連リーグ優勝1回(1989年)、ロシアリーグ優勝8回(1992年から1994年、1997年から2001年)、ロシア・カップ優勝4回(1992年、1994年、1998年、2003年)、さらに欧州3大カップすべてで準決勝進出(UEFAチャンピオンズカップ 1990-91、UEFAカップウィナーズカップ 1992-93、UEFAカップ1997-98)を成し遂げた。
1993年からはスパルタクの会長を兼任。 1994年から1996年、1998年から2002年まではロシア代表監督を務め、EURO1996、2002年ワールドカップでロシア代表を率いた。
2003年にスパルタクの会長および監督を辞任。その後ふたつのクラブの監督を務めたが、現在は監督職には就いていない。
サディリン 1992-1994 | ロマンツェフ 1994-1996 | イグナチェフ 1996-1998 | ブイショヴェツ 1998 | ロマンツェフ 1998-2002 | ガザエフ 2002-2003 | ヤルツェフ 2003-2005 | ショミン 2005 | ボロデュク 2006 | ヒディンク 2006-2010 | アドフォカート 2010-2012 | カペッロ 2012-2015 | スルツキー 2015-2016 | チェルチェソフ 2016-2021 | カルピン 2021-
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