オエラ・リンダの書(ウラ・リンダ年代記とも、英語: Oera Linda Book)は、紀元前2194年から紀元803年にかけての古代ヨーロッパの歴史や神話、宗教について記された古文書を称する写本。古フリジア語で書かれているが、ゲルマン文献学(英語版)専門家の間では捏造された偽書であると見なされている。
2004年、歴史学者のゴフィ・イェンスマは写本が受容される過程についての検討や新訳を含む研究論文 De gemaskerde god (隠されし神)を出版した。イェンスマはオランダ人神学者・詩人のフランソワ・ハーファシュミット(英語版)が真の著者であり、おそらく「一部のフリジア人ナショナリストと正統主義キリスト教徒を担ぐためのでっち上げ」であると同時に「体験的かつ戒めのための訓練」として意図されたものだと結論付けている[1][2]。
ドイツにおける受容は、それから40年以上も後の1922年に始まる。ドイツ民族至上主義者であったオランダ人文献学者ヘルマン・ヴィルト(英語版)によってオエラ・リンダの書を巡る論争は復活させられた。ヴィルトは1933年に「北方人種の聖書」と称したドイツ語訳版 Die Ura Linda Chronik を出版した。
ロバート・スクラットンがその著書 The Other Atlantis(もう一つのアトランティス、1977年)において、歴史や神話についての注釈を散りばめたサンドバッハの英訳版を掲載したことで、オエラ・リンダの書は英語圏で再び注目を集めるようになった[5]。また Secrets of Lost Atland(失われしアトランドの秘密、1979年)で、スクラットンは初めてオエラ・リンダとアース・ミステリーズ(英語版)の概念、特にレイラインや地電流と関係付けた[6]。スクラットン以降のオエラ・リンダに関する英語の著述は、ニューエイジや歴史改変SFといったジャンルであることが多く、ドイツのように国家社会主義と関連付けられることはない。
トニー・スティールはオエラ・リンダの書の影響を受け、同時代のネオ・ペイガニズムの教えを組み上げた人物であり、彼はこの書が古代ヨーロッパの巨石文化に関する真の事実を明らかにするものだと考えた。Water Witches(水の魔女、1998年)で、彼はフリジア人の血を引くイングランド中部の運河の民が、文化的アイデンティティの目印としてオエラ・リンダを用いていたと考察している[7]。また、The Rites and Rituals of Traditional Witchcraft(伝統的ウィッチクラフトの祭礼と儀式、2001年)では、オエラ・リンダに書かれている女司祭の宗教的実践を後の中世ウィッチクラフトと結び付けている[8]。
^Zeker ook nieuw aan mijn boek is wat ik op grond van het handschrift zelf kon concluderen over de tijd van ontstaan en over de wijze waarop het is gemaakt, namelijk in een aantal fases en niet door één auteur, maar zeker door twee en vermoedelijk door drie auteurs.[2]
^Extraordinary professor of Frisian Language and Culture, in particular the literary-historical aspects of Frisian, at the Faculty of Humanities of the Universiteit van Amsterdam
Breuker, Ph.H. "It Friesch Genootschap, it Friesch Jierboeckjen en it Oera Linda Boek. De striid om taalbefoardering tusken 1827 en 1837", De Vrije Fries 60 (1980), 49–65.
Vinckers, Door J. Beckering "De onechtheid van het Oera Linda-Bôk, aangetoond uit de wartaal waarin het is geschreven.", Haarlem, Erven F. Bohn. 1876. Oera Linda Boek(オランダ語)