エンニオ・デ・コンチーニ(Ennio de Concini, 1923年12月9日 - 2008年11月17日)は、イタリアの脚本家、映画監督である[1][2]。別名ヴァシリー・ペトロフ (Vassily Petrov)[1]。
人物・来歴
1923年(大正12年)12月9日、イタリア王国(現在のイタリア共和国)ローマに生まれる[1]。
第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)に公開されたゴッフレード・アレッサンドリーニ監督の『さまよえるユダヤ人』の脚本に参加、このクレジットがもっとも古い記録である[1]。
ピエトロ・ジェルミ監督の『刑事』の脚本で、1960年(昭和35年)、同作の脚本を共同執筆したジェルミ、アルフレード・ジャンネッティとともにナストロ・ダルジェント最優秀脚本賞を受賞する[1]。ピエトロ・ジェルミ監督の『イタリア式離婚狂想曲』の脚本で、同作の脚本を共同執筆したジェルミ、アルフレード・ジャンネッティとともに1962年(昭和37年)にはナストロ・ダルジェント最優秀脚本賞を受賞、1962年(昭和37年)には第35回アカデミー賞脚本賞を受賞する[1]。
2003年(平成15年)に公開されたカルロ・リッツアーニ監督の『古代アッピア作戦』の脚本に参加、これが遺作となった[1]。
2008年(平成20年)11月17日、長い闘病の末に死去した[1][3]。満84歳没。同市内にあるヴェラーノ墓地に眠る[3]。
おもなフィルモグラフィ
169作の脚本作がある[1]。
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代以降
参考文献
註
関連事項
外部リンク
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