穏健な政策をとり、極端に走ることは避けたフランス復古王政期の首相である。1818年、デンマーク王フレゼリク6世によってデンマーク貴族グリュックスボー公爵(hertug af Glücksborg)の称号を授けられた。これはエリーの2度目の妻ヴィレルミーヌがナッサウ=ザールブリュッケン公ヴィルヘルム(en)の子孫であった縁からである。ヴィレルミーヌの伯母であるアンナ・カロリーネはスレースヴィ=ホルステン=セナーボー=グリュックスボー公フレゼリク・ヘンリク(da)の未亡人で、子が授からず、姪ヴィレルミーヌの後見を務めていた。アンナ・カロリーネは姪のために、当時伯爵でフランス貴族であったドゥカズとの良縁を望んだ。そして姪の将来の配偶者に公爵の称号が得られるよう、デンマーク王に働きかけたのである。