エリーザベト・フォン・アンハルト(Elisabeth von Anhalt, 1563年9月15日 - 1607年11月8日)は、ドイツのブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルクの3番目の妻。
生涯
アンハルト侯ヨアヒム・エルンストとその最初の妻アグネス・フォン・バルビとの間の第3子、三女として生まれた。1577年10月6日にガルデレーゲン郊外のレッツリンゲン狩猟用城館(Jagdschloss Letzlingen)において、ヨハン・ゲオルク選帝侯と結婚した。エリーザベトは当時14歳の少女だったのに対し、ヨハン・ゲオルクは52歳の初老であり、夫婦には38歳の年齢差があった。夫の長子ヨアヒム・フリードリヒですら、エリーザベトより16歳年上であった。
結婚式は大して盛大に祝われることも無かったが、エリーザベトは朝の贈り物(Morgengabe)として年金400グルデンを保障された。エリーザベトは1万5000ターラーの持参金付きで輿入れし、婚資(寡婦財産)としてクロッセン(現ポーランド領ルブシュ県クロスノ・オジャンスキェ)の城と市街、ツューリハウおよびボーベルスベルク(現ボブロヴィツェ)の市街と農地など、相当に裕福な資産を与えられた。
エリーザベトは夫の先妻ザビーナと同じく宮廷侍医レオンハルト・トゥルナイッサーの研究活動の支援者となった。エリーザベトは度重なる妊娠と出産を繰り返し、1598年に夫と死別する頃にはすでに健康を損なっていた。寡婦になると年少の子供たちを連れてクロッセン城に引退し、9年後に44歳で亡くなって、ベルリン大聖堂に葬られた。
子女
夫との間に7男4女をもうけた。
脚注
参考文献
- Friederike Bornhak: Elisabeth von Anhalt: Kurfürstin von Brandenburg, dritte Gemahlin des Kurfürsten Johann Georg von Brandenburg, geboren 1563, gestorben 1607, S. Geibel, 1889
- Ernst Daniel Martin Kirchner: Die Kurfürstinnen und Königinnen auf dem Throne der Hohhenzollern, 2. Teil: Die letzten acht Kurfürstinnen, Berlin 1867, Seite 34 ff. (Digitalisat)