エドワード・エマーソン・バーナード
エドワード・エマーソン・バーナード (Edward Emerson Barnard , 1857年 12月16日 - 1923年 2月6日 )は、アメリカ合衆国 の天文学者 。E. E. Barnard の名で広く知られ、多くの業績を残した観測天文学者である。
来歴
アメリカのテネシー州 ナッシュビル に生まれ、兄弟が1人いた。父親が彼の生まれる前に亡くなったため、貧困な家庭に育ち、学校教育 をあまり受けられなかった。幼い頃から写真に興味を持ち、9歳で写真家の助手となった。
後に彼は天文学 に興味を抱くようになった。1876年 に口径5インチの屈折望遠鏡 を購入、1881年 には初めて彗星 を発見した(しかし彼はこの発見を報告しなかった)。同じ年に2個目、翌1882年 に3個目の彗星を発見した。
1881年 、写真スタジオで働いている時代にイギリス 出身のローダ・カルバートと結婚した。1880年代には裕福なパトロンが付き、新彗星を発見するごとに200ドルの援助を受けた。彼はこの時期に計8個の彗星を発見し、この援助金で妻のために新居を建てた。
エドワードの名前がナッシュビルのアマチュア天文家の間で知られるようになると、彼らは寄付を募り、エドワードがヴァンダービルト大学 に入学するための奨学金を集めた。彼は30歳で大学を卒業し、リック天文台 の職員となった。
1892年 、ある新星 の観測を行っている時に、新星からガス状の物質が放出されていることに初めて気づいた。このことから彼は新星が星の爆発現象であると推定した。同じ年に木星 の5番目の衛星 アマルテア を発見した。これは1609年 にガリレオ・ガリレイ が木星の4つの明るい衛星 を発見して以降、最初の新衛星発見であった。これはまた、(写真乾板や過去に撮影された画像の捜索を除いて)肉眼で衛星が発見された最後の例である。
1895年 にはシカゴ大学 の天文学の教授に就任した。この大学ではヤーキス天文台 の口径40インチ望遠鏡を使うことができた。この時代の彼の仕事の多くは天の川 の写真を撮影することに費やされた。同僚のマックス・ウォルフ とともに、彼は天の川に見られる暗い領域が実際にはガスや塵の雲であり、背景にあるより遠くの恒星を隠しているのだということを発見した。同年にはオリオン座 に散光星雲を発見し、彼にちなんでバーナードループ と命名された。
1916年 に彼はへびつかい座に、他の星に比べて固有運動 が非常に大きい星を発見した。この暗い星は彼にちなんでバーナード星 と呼ばれている。バーナード星はケンタウルス座α星 に次いで、太陽 から2番目に近い恒星である。
1923年 2月6日 、ウィスコンシン州 ウィリアムズベイで死去し、ナッシュビルに埋葬された。彼の死後、彼が撮影した天の川の優れた写真は Photographic Atlas of Selected Regions of the Milky Way という写真集として出版された。この中で紹介されている約350個の暗黒星雲 には番号が付けられ、バーナード・カタログとして現在でも用いられている。
バーナードの発見した彗星
1881年 から1892年 までの間に彼は14個の彗星を発見している。このうち周期彗星は3つ発見したが、そのうち2つが近年番号登録された。
賞歴・エポニム
関連項目
脚注
外部リンク
天文学術雑誌に掲載された彼の死亡記事