エディ・ジョージ(Edward Nathan George, Jr.、1973年9月24日 - )は、NFLで活躍した元アメリカンフットボール選手。アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。ポジションはランニングバック。
大型のパワーRBだったことで「ザ・ビースト」のニックネームで呼ばれていた[1]。1999年シーズンにはQBのスティーブ・マクネアと共にチームを牽引し、チーム初のスーパーボウル進出を果たした[2]マッデン2001のカバープレイヤーに選ばれている[3]。
経歴
プロ入りまで
オハイオ州立大学に入学、1年次のシラキューズ大学戦では3TDをあげる活躍を見せたが、イリノイ大学戦では敵陣4ヤードラインでファンブル、これが96ヤードのファンブルリカバーTDにつながってしまった。さらに2点をリードした第4Q、敵陣1ヤードラインでファンブル、これが相手の逆転TDにつながった。その試合まで25回のキャリーで5TDをあげていたが、それ以降12回のキャリー、TDなしに終わった。レイモント・ハリスの控えとして、彼の出場は、試合終盤大量リードした場面での起用などに限られるようになり、42回のキャリーに終わった。3年次には先発RBとなり、1,442ヤードを獲得、12TDをあげた。
4年次の1995年には大学記録となる1,927ヤード(平均152.2ヤード)を獲得、24TDをあげた。また44回のレシーブ(過去3年間でわずか16回のレシーブであった。)で399ヤードを獲得、1TDをあげた。ノートルダム大学ではシーズン3回目となる200ヤードラッシュを記録、イリノイ大学戦では大学記録となる314ヤードを走って3TDをあげた。この年チームは10勝2敗の成績をあげた。彼はオールアメリカンファーストチームに選ばれるとともに、ハイズマン賞を受賞した[4]。
1996年のNFLドラフトでヒューストンオイラーズ(現テネシー・タイタンズ)から1巡全体14位で指名された。ルーキー年から5年連続で1,200ヤード以上を記録し、キャリア9年のうち7シーズンで1,000ヤードラッシュを記録した。またルーキーから8年間は一度も欠場はなく、8年連続300キャリーというリーグ記録を打ち立てた[5]。1997年から2000年まで4年連続プロボウルに選出、第34回スーパーボウルにチームを導いた。スーパーボウルでは95ヤードを走り、2回のレシーブで35ヤード、2TDをあげたが、16-23でセントルイス・ラムズに敗れた。
2003年に通算10,000ヤードを達成したが、デビューから1試合も欠場せずに記録を達成したのは、ジム・ブラウン以来史上2人目のことであった。またRBとして128試合に連続先発出場したが、この記録を上回るのはウォルター・ペイトンの170回のみである[6]。
2004年7月21日、サラリーキャップを開けるため、タイタンズから放出され、7月23日にダラス・カウボーイズと1年契約を結んだ。カウボーイズでは先発はわずか8試合、432ヤードの獲得に終わった。2005年シーズン前に引退を表明した。
現役通算でラン10,441ヤード、68TD、268回のレシーブで2,227ヤード、10TDをあげた。
タイタンズ時代の通算ラン10,009ヤードはチーム歴代トップである[7]。
2007年にはFOXスポーツでBCSナショナル・チャンピオンシップ・ゲームの試合前に放送された番組で解説を務めた。また同年全米で公開されたゲーム・プランにカメオ出演している。同年4月28日には、背番号27をつけて、LPフィールドの周囲がコースのハーフマラソンに出場、2時間4分8秒の記録だった。後にジョージは、NFLの試合よりタフだったと語った。
2008年アメリカ合衆国大統領選挙ではバラク・オバマ上院議員を支持することを表明した[8]。
2011年、カレッジフットボール殿堂に選ばれた[9]。
2012年のNFLドラフトではタイタンズの元選手として招待され[10]、タイタンズの2巡指名選手を発表した。
2019年9月15日にインディアナポリス・コルツを迎えて実施されるホームでの初戦でセレモニーを行い、スティーブ・マクネアの9番とエディ・ジョージの27番を永久欠番にするとタイタンズが6月12日に発表した[11]。
人物
パスプレーでは、相手ディフェンスのブリッツを止めることに長けていた[7]。
ジョージの母親はフライトアテンダントであり、ジョージが1996年7月にオイラーズと契約するため、フライトの予定を変更した(ジョージの代理人の提案による)。その結果、母親は当初乗務する予定だったトランス・ワールド航空800便に乗らないこととなり、命を取り留めた[12]。
前妻との間に息子が1人、SWVのメンバー、タージとの間に息子が1人いる。
タイタンズの本拠地、LPフィールドからカンバーランド川の対岸、ナッシュビル市内と(Eddie George Sports Grille)、母校オハイオ州立大学のそば、コロンバスに(Eddie George's Grille 27)スポーツをテーマとしたレストランを開いている。
1995年に彼が受け取ったハイズマントロフィーはニューヨークの空港でのX線検査で損傷した。
年度別成績
年 |
チーム |
試合数 |
ラン回数 |
ヤード |
平均 |
TD
|
1996 |
ヒューストン・オイラーズ |
16 |
335 |
1,368 |
4.1 |
8
|
1997 |
テネシー・オイラーズ |
16 |
357 |
1,399 |
3.9 |
6
|
1998 |
テネシー・オイラーズ |
16 |
348 |
1,294 |
3.7 |
5
|
1999 |
テネシー・タイタンズ |
16 |
320 |
1,304 |
4.1 |
9
|
2000 |
テネシー・タイタンズ |
16 |
403 |
1,509 |
3.7 |
14
|
2001 |
テネシー・タイタンズ |
16 |
315 |
939 |
3.0 |
5
|
2002 |
テネシー・タイタンズ |
16 |
343 |
1,165 |
3.4 |
12
|
2003 |
テネシー・タイタンズ |
16 |
312 |
1,031 |
3.3 |
5
|
2004 |
ダラス・カウボーイズ |
14 |
132 |
432 |
3.3 |
4
|
通算 |
|
142 |
2865 |
10441 |
3.6 |
68
|
脚注
外部リンク
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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AP通信 オールプロ ファーストチーム選出(1回)
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