やがて、ウトゥヘガルがウルに派遣した将軍ウルナンムが、その地で自立して新たな王朝(ウル第三王朝)を打ち立て、シュメール全域を支配する勢力に成長した[49]。この王朝の下で、ウルクは経済及び文化の中心地として復興を果たした。大規模な再建活動によって、イナンナ神殿及びエアンナ地区は修復された。ウルク期のイナンナ神殿遺構の北東にあったジッグラトと「世界の家(House of the Universe、E2(英語版).SAR.A(英語版)」はこの神殿の一部であった。このジッグラトは建設者ウル・ナンムに因み、ウル・ナンムのジッグラトとしても言及される。ウル第3王朝の崩壊(前2000年頃)の後、ウルクは数百年間にわたる衰退の時代に入る[8]。前2千年紀後半から前1千年紀にかけて、ウルクは再び繁栄の時代に入り建設活動が活発化した[8]。アッシリア(新アッシリア時代)が前850年にこの地方を併合し、ウルクを地方の首都としたこともこれを後押しした。アッシリアに続く新バビロニアの王ナボポラッサルの時代、ウルクの全ての神殿と運河が修復された。この時代のウルクは5つの主要な地区(アダド神殿、王宮果樹園、イシュタル門、ルガル・イッラ(Lugalirra)神殿、シャマシュ門)に分割されていた[50]。前250年ころ、新たな神殿複合体(Head Temple、アッカド語:Bīt Reš)がウルク期のアヌ地域の北西に追加された。Bīt Rešはエサギラ神殿と共に、バビロニアの天文学(英語版)の拠点の一つであった。
Ausgrabungen der Deutschen Forschungsgemeinschaft in Uruk (ADFU), 17 volumes, 1912–2001 (titles listed at the German Archaeological Institute Index 38e378adbb1f14a174490017f0000011) (『ドイツ研究振興協会によるウルク(ワラカ)発掘調査』全17巻、1912~2001年(収録タイトルは、ドイツ考古学研究所で一覧にしている))
Ausgrabungen in Uruk-Warka, Endberichte (AUWE), 25 volumes, 1987–2007 (titles listed at the German Archaeological Institute Index 108) (『ウルク(ワラカ)発掘調査最終報告』全25巻、1987~2007年(収録タイトルは、ドイツ考古学研究所で一覧にしている))
最近では、マルガリーテ・ファン・エス(Margarete van Ess)率いるドイツ考古学研究所(英語版)のチーム(ユーグ・ファスビンダー(Joerg Fassbinder)およびヘルムート・ベッカー(Helmut Becker)も参加)が、2001年から2002年にかけて、ウルクで部分的な磁気探査を行った。この調査では、地球物理学による調査に加えて、円筒形標本の採取と航空写真の撮影が行われた。また、2005年には高解像度衛星画像による追加調査も行われている[74]。
^"Travels and researches in Chaldaea and Susiana: with an account of excavations at Warka, the "Erech" of Nimrod, and Shush, "Shushan the Palace" of Esther, in 1849-52",William Kennett Loftus,1857, Robert Carter & Brothers (『カルデアとスシアナでの旅行・調査 - ワルカ(ニムロドのエレク)及びシューシュ(エステルのシューシャン宮殿)の発掘報告(1849~1853年)』(ウィリアム・ケネット・ロフタス、ロバート・カーター・アンド・ブラザーズ出版、1857年) 「彼の国は最初シナルの地にあるバベル、エレク、アカデ、カルネであった」とあるように、クシの子ニムロドによって創建された他の都市の起源となる原初の都市のうち4つが「創世記」第10章に登場している。...ニムロドの第二の都市エレクに対応すると思われる遺跡が存在するか見てみよう。バビロンの南東約120マイルのあたりにいくつかの巨大な遺丘がある。この遺丘はそれらの名前と重要性から、この主張を正当化するものとして真っ先にあげられる。その名ワルカ(Warka)は何ら不必要な歪みもなくエレク(Ereck)から派生している。元のヘブライ語の「Erk」または「Ark」から、アレフ(aleph)をヴァウ(vau)に変えるか、ヘブライ語名をアラビア語に変換する際の慣例となっているように単に音便のためにヴァウを接頭辞として付加するかのいずれかによってWarkaを導き出せる。古代の名前から現代の派生形を導き出せる場合、これは(遺跡を同定するための)その他の特質よりも信頼に値する。...ヘンリー・ローリンソン卿はワルカはエレクであるという彼の考えを述べているが、これは同時代の証拠によって裏付けられている...[脚注:「the Twenty-ninth Annual Report of the Royal Asiatic Society, 1852」(王立アジア協会第29回(1852年)年次報告)の16ページや、「Proceedings of the Royal Geogr. Society」(王立地理学会議事録)第1巻47ページを参照のこと。]
^Warwick Ball(英語版), 2001, Rome in the East: the transformation of an empire(『東方におけるローマ:帝国の変容』), p. 89を参照。ボールはさらに、エレクをエデッサ(Orhai オルハイ)と結びつける初期の考えは、前6世紀の新バビロニアの王ナボニドゥスの治世にウルクがより北方の地に「移転」されたことによって生じた可能性があると推測している
^地名のアル=イラーク(al-ʿIrāq)はアラビア語形であるが、それは中世ペルシア語のエラーク(erāq、低地)に由来している。Wilhelm Eilers (1983), "Iran and Mesopotamia" in Ehsan Yarshater, The Cambridge History of Iran, vol. 3, Cambridge: Cambridge University Press.(『ケンブリッジ イランの歴史』(編:エーサーン・ヤーシャーター、1983年、ケンブリッジ大学出版)第3巻第4部に収録されている『イランとメソポタミア』(ウィルヘルム・アイラース))
^Tertius Chandler, Four Thousand Years of Urban Growth: An Historical Census, Edwin Mellen Press, 1987, ISBN0-88946-207-0 (『4000年の都市成長:歴史センサス』(著:ターシャス・チャンドラー、セント・デーヴィッド大学出版、1987年))
^“Tablet MSVO 3,12 /BM 140855 : description on CDLI." (MSVO = Materialien zu den frühen Schriftzeugnissen des Vorderen Orients, BM = British Museum, CDLI = The Cuneiform Digital Library Initiative) (粘土板 番号 MSVO(初期中東文書に係る史料)3, 12/BM(大英博物館)140855:楔形文字デジタルライブラリー計画にて公開)
^Robartus Johannes van der Spek, “The Latest on Seleucid Empire Building in the East.” Journal of the American Oriental Society 138.2 (2018): 385–94. (『東方におけるセレウコス朝の建設について最新情報』(著:ロバルタス・ヨハネス・ファン・デル・スペック。アメリカ東洋学会誌第138号第2巻(2018年)、385~394ページに収録))
^ abRobartus Johannes van der Spek, “Feeding Hellenistic Seleucia on the Tigris and Babylon.” In Feeding the Ancient Greek City, edited by Richard Alston & Onno van Nijf, 36. Leuven ; Dudley, MA: Peeters Publishers, 2008. (『古代ギリシア都市への食料供給』(編:リチャード・アルストン、オンノ・ヴァン・ナイジフ、ピーターズ出版(ベルギー国ルーベン)、2008年)36ページに収録されている、『ヘレニズム時代のセレウキアとバビロンへの食料供給』(著:ロバルタス・ヨハネス・ファン・デル・スペック))
^"Narām-Sîn of Uruk: A New King in an Old Shoebox" (Eva von Dassow, 2009, in Journal of Cuneiform Studies 61) (『楔形文字研究誌』第61号(2009年、シカゴ大学出版)p.63~91に収録されている『ウルクのナラム・シン:古い靴箱の中から発見された新たな王』(著:エヴァ・ボン・ダッソー))
^Douglas Frayne (1990). Old Babylonian Period (2003–1595 B.C.): The Royal Inscriptions of Mesopotamia Early Periods, Volume 4. University of Toronto Press. pp. 439–483, 825 (『古バビロニア時代(紀元前2003-1595年)前期』(メソポタミア初期王朝の碑文シリーズ第4巻)(著:ダグラス・フレイン、1990年、トロント大学出版)p.439-483、p825より)
^[1] William K. Loftus, Travels and Researches in Chaldaea and Susiana, Travels and Researches in Chaldaea and Susiana: With an Account of Excavations at Warka, the "Erech" of Nimrod, and Shush, "Shushan the Palace" of Esther, in 1849–52, Robert Carter & Brothers, 1857 (前出『カルデアとスシアナでの旅行・調査 - ワルカ及びシューシュの発掘報告(1849~1853年)』(ウィリアム・ケネット・ロフタス、1857年))
^Julius Jordan, Uruk-Warka nach dem ausgrabungen durch die Deutsche Orient-gesellschaft, Hinrichs, 1928 (German) (『ドイツ・オリエント学会による発掘後のウルク(ワルカ)』(ジュリアス・ジョーダン、1928年、JCヒリンクス社))
^Ernst Heinrich, Kleinfunde aus den archaischen Tempelschichten in Uruk,Harrassowitz, Leipzig 1936 (German) (『ウルクの古代神殿層における小さな発見』(エルンスト・ハインリヒ、1936年、ハラソヴィッツ社(ドイツ))
^Heinrich Jakob Lenzen, The Ningiszida Temple Built by Marduk-Apla-Iddina II at Uruk (Warka), Iraq, vol. 19, no. 2, pp. 146–150, 1957 (『マルドゥク・アプラ・イディナ2世がウルク(ワルカ)に建てたニンギシュジダの寺院』(著:ハインリッヒ・ジェイコブ・レンツェン。ケンブリッジ大学年報「イラク」第19巻(1957年)第2部p146-150に掲載))
^Heinrich Jakob Lenzen, The E-anna district after excavations in the winter of 1958–59, Sumer : a journal of archaeology and history in Arab world, vol. 16, pp. 3–11, Directorate General of Antiquities, 1960 (『1958~59年冬の発掘後のエアンナ地区』(著:ハインリッヒ・ジェイコブ・レンツェン。『シュメール』(アラブ世界の考古学・歴史雑誌、編:イラク政府古代文化財省)第16巻(1960年出版)p.3-11に収録)
^Heinrich Jakob Lenzen, New discoveries at Warka in southern Iraq, Archaeology, vol. 17, pp. 122–131, Archaeological Institute of America, 1964 (『イラク南部ワラカにおける発見』(著:ハインリッヒ・ジェイコブ・レンツェン。『考古学』(アメリカ考古学協会四季報)第17巻(1964年出版)p.122-131に収録)
^Jürgen Schmidt, Uruk-Warka, Susammenfassender Bericht uber die 27. Kampagne 1969, Baghdader, vol. 5, pp. 51–96, 1970 (『ウルク(ワラカ)第27回調査(1969年)概要報告』(著:ユーゲン・シュミット。『バグダッド』第5巻、1970年、p.51-96に収録))
^Rainer Michael Boehmer, Uruk 1980–1990: a progress report, Antiquity, vol. 65, pp. 465–78, 1991 (『ウルク 1980~1990年 調査経過報告』(著:レイナー・ミハエル・ブーマー、ケンブリッジ大学学術誌『古代』第65巻(1991年)p.465-478収録。))
^Margarete van Ess and Jörg Fassbinder, Magnetic prospection of Uruk (Warka) Iraq, in: La Prospection Géophysique, Dossiers d'Archeologie Nr. 308, pp. 20–25, Nov. 2005 (『ウルク(ワラカ)の磁気探査』(著:マルガリーテ・ファン・エス、ユーグ・ファスビンダー、フランスの雑誌「考古学ファイル」第308号(2005年11月)『地球物理学の可能性』p.20-25に収録)
^Hans J. Nissen, The Archaic Texts from Uruk, World Archaeology, vol. 17, no. 3, pp. 317–334, 1986 (『ウルクの古文書』(著:ハンズ・J・ニッセン、学術雑誌『世界の考古学』第17巻第3冊(1986年)p.317-334収録。)
^Margaret W. Green, Archaic Uruk Cuneiform, American Journal of Archaeology, vol. 90, no. 4, pp. 464–466, 1986 (『古代ウルクの楔形文字』(著:マーガレット・W・グリーン、『アメリカ考古学術誌』第90巻第4冊(1986年)p.464-466収録。)
Jörg W.E.Fassbinder and Helmut Becker, Magnetometry at Uruk (Iraq): The city of King Gilgamesh, Archaeologia Polona, vol. 41, pp. 122–124, 2003 (『ウルク - ギルガメシュ王の都市における磁気探査』(著:ユーグ・W・E・ファスビンダー、ヘルムート・ベッカー、ポーランド考古学民族学研究所発行の「ポロナ考古学術誌」第41巻(2003年)p.122-124に収録))
Krystyna Szarzyńska, Observations on the Temple Precinct EŠ3 in Archaic Uruk, Journal of Cuneiform Studies, vol. 63, pp. 1–4, 2011 (『古代ウルク寺院地区EŠ3の調査』(著:クリスティナ・Szarzyńska、楔形文字研究誌(アメリカ・オリエント学研究所)第63号、2011年、p1-4))
Vos, Howard Frederic (1977). Archaeology in Bible Lands. Chicago, Illinois: Moody Press. pp. 399. ISBN978-0-8024-0293-6 (『聖書の土地における考古学』(著:ハワード・フレデリック・ボス、1977年、ムーディ出版(米国) p.399))
Eva Strommenger, The Chronological Division of the Archaic Levels of Uruk-Eanna VI to III/II: Past and Present, American Journal of Archaeology, vol. 84, no. 4 , pp. 479–487, (Oct., 1980) (『古代ウルク・エアンナ第4~第3・2層の年代区分:過去と現在』(著:エヴァ・Strommenger、アメリカ考古学術誌第84巻第4冊(1980年10月)、p.479-487))