ウリチ族 (ウリチ語 : нани 、ロシア語 : ульчи 、英語 Ulch)は、ツングース系民族 の一つで、主にロシア連邦 のアムール川 下流域(ハバロフスク地方 ウリチ地区 )に居住する。ナーニ(Naani)、オルチャ(Olcha)、マングン(Mangun)などの呼称でも呼ばれる。山丹交易 で知られる山丹人 はウリチに推定されている。現在は一部がロシア人 との混血が進んでいる。
概要
ウリチの男性(1960-70年代)
ウリチはアムール川最下流に居住するニヴフ 、上流のウスリー川の合流地点などに住むナナイ に挟まれる形でアムール川下流域に居住しており、他にも北でネギダール と、南でオロチ と接している。
1989年の人口調査では約3200人がロシア国内に居住するが、その30%ほどのみがウリチ語 を母語とする。ウリチ語は南部ツングース諸語 に属しており、特にナナイ語 の下流方言・ウィルタ語 との共通性が高い。
主な生業は漁労 であり、チョウザメ やコイ をかぎ針、網などを用いて採集する。狩猟は二次的な生業であり、冬期に食用としてクマ を、毛皮用にテン やリス を狩猟する。ロシア人の進出によって現代ではジャガイモ を中心とした農業、牛・豚の飼育も行われており、生活様式がロシア化している。
山丹交易
間宮林蔵が記録した山丹人の自称「マンゴー」とウリチの呼称の一つ「マングン」が一致すること(正確な形は「マングーニ(Manguni,アムール川の人々の意)」と推定されている)、山丹人の居住地が概ね現代のウリチの居住地域と一致することなどから、ウリチは日本語史料に登場する山丹人であると推定されている[ 1] 。
一方、清朝 の史料ではアムール川最下流の集団をフィヤカ(ニヴフに比定)、その上流の集団をヘジェ(ナナイに比定)と呼んでおりウリチ(山丹人)にあたる集団が存在しない。しかし、清朝における「ヘジェフィヤカ」(満洲語 : ᡥᡝᠵᡝ ᡶ᠋ᡳ᠍ᠶᠠᡴᠠ , heje fiyaka)はアムール川下流域一帯の住民の代名詞という意味合いが強く、ウリチ(山丹人)はヘジェとフィヤカ両方にまたがる形で居住していたと考えられる。
清朝の辺民制度に入ったアムール川下流域の氏族の内、キジン姓、ハルグン姓、ウディル姓、ロンキル姓などは現代のウリチにあたる氏族であったと推定されている[ 2] 。また、トゥメリル姓、ガキラ姓、チャイセラ姓、ブルガル姓などはナナイとウリチの境界地帯に居住しており、一概に帰属を決めるのが難しい両者の中間氏族と考えられる。
遺伝子
ウリチは他のツングース系民族 と同様、ハプログループC2 (Y染色体) が高頻度であり、69%見られる[ 3] 。
脚注
^ 佐々木史郎『北方から来た交易民−絹と毛皮とサンタン人』日本放送出版協会、1996年 第一章
^ 松浦茂『清朝のアムール政策と少数民族』京都大学学術出版会、2006年 第七章
^ E. V. Balanovska, Y. V. Bogunov, E. N. Kamenshikova, et al. , "Demographic and Genetic Portraits of the Ulchi Population." ISSN 1022-7954, Russian Journal of Genetics , 2018, Vol. 54, No. 10, pp. 1245–1253. doi :10.1134/S1022795418100046
参考文献
綾部恒雄『世界民族辞典』弘文堂、2000年
朝克(丸山宏・上野稔弘編訳)東北アジア研究シリーズ③『ツングースの民族と言語』 東北アジア研究センター、2002年
松浦茂『清朝のアムール政策と少数民族』京都大学学術出版会、2006年
佐々木史郎『北方から来た交易民−絹と毛皮とサンタン人』日本放送出版協会、1996年
関連項目