ウィーン条約(ウィーンじょうやく、英語: Treaty of Vienna)は北方戦争中の1656年12月1日に締結された、ハプスブルク家とポーランド・リトアニア共和国の同盟条約[1]。ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝 フェルディナント3世は反スウェーデン側で参戦することに同意し、ポーランド王ヤン2世カジミェシュに援軍4千を提供した[1]。しかし、ヤン2世はより大規模な援軍に期待していたため彼は条約に失望した。さらにフェルディナント3世が条約への署名から3日後に死去したため条約が実効を持つことはなかった[1]。後任の皇帝レオポルト1世は翌年に再びウィーン条約を締結した[1]。
脚注
- ^ a b c d Frost, Robert I (2000). The Northern Wars. War, State and Society in Northeastern Europe 1558–1721. Harlow: Longman. p. 179. ISBN 978-0-582-06429-4